

2018年に亡くなった翁長雄志の弔い合戦で、沖縄県知事選に立候補し、過去最多の票を獲得して当選した玉城(たまき)デニー(60)。音楽を愛し、ギターを弾く姿も知られるが、幼少時代は容姿でいじめられたこともあった。会ったことのない父はアメリカ人、働きに出た母に代わり、「育ての母」もいる。母子家庭で育ったことは、デニーを強くした。辺野古の新基地建設阻止のため、国内外を飛び回る。『AERA』2019年12月2日号に掲載された「現代の肖像」から一部紹介する。
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丘の上の沖縄県知事公舎を風が吹き抜ける。
「カラスの赤ちゃん、いなくなったねぇ」
玉城デニーが庭園のガジュマルを見上げた。
「親ガラスが餌を運んでいたけど、巣立ったかな」
妻の智恵子(60)が返す。昨秋、夫妻は沖縄市の自宅から那覇市寄宮の知事公舎に越してきた。
夫の知事就任は、長年、公立保育所で働いてきた妻にとっても大きな転機だった。「知事の体調を管理できるのはあなただけよ。サポートに専念してね」と支援者には暗に退職を促される。前任の翁長雄志が志半ばで急逝しただけに周りは体調管理に敏感だ。しかし智恵子は、今年3月の定年まで職務を全うしたかった。悩んでいるとデニーがあっけらかんと言った。
「ここから通えばいいさぁ」
智恵子は、半年間、自分で車を運転し、片道1時間余りかけて保育所に通い、定年を迎えた。広大な邸の主になっても夫妻は自然体を保っている。
「料理を作っていると、ギターを抱いた渡り鳥ーって言いながら、台所に入ってきてクラプトンの曲とか歌ってますねぇ。家族と音楽とビールが、あの人の頑張るためのアイテム」と智恵子は笑う。
9月中旬のある日、デニーは、つかの間のオフを終えて正装のかりゆしウェアに着替えた。これから公務で船に乗り、辺野古の新基地建設現場を海上視察するという。ひと月後の訪米に備えて現場感を養いたいようだ。