『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回は哲学者のニーチェを「診断」する。
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筆者が高校から大学教養課程のころ、難解な哲学書を持ち歩いて電車やバス、公園や喫茶店で読みふけるのは一種のファッションだった。多分、戦前の旧制高校のころからの気障(きざ)な伝統の最後の時代であろう。初めからわかりにくいものを避ける若者が多いせいか、はたまたKindleやスマホでは様にならないせいか、現在ではまず見かけない。かくいう筆者自身、どの程度内容を理解していたかといわれると忸怩(じくじ)たるものがある。
■当初は牧師志望だった古典学者
19世紀から20世紀初めの第一次世界大戦前まで、歴史家ホブズボームのいう「長い19世紀」はオーストリアやスイスも含めたドイツ哲学のもっとも華やかなりし時代だった。
18世紀末、ドイツ啓蒙主義の偉人カントに始まるドイツ観念論はフィヒテからシェリングへ、そしてヘーゲルにいたる。しかし、哲学は神の全知にあずかるものとしたヘーゲルに対し、ショーペンハウアーの非合理的な意志の哲学は、ニーチェのニヒリズムを経て20世紀のヤスパースやハイデッガーにつながる。神を徹底的に否定し、実存主義の開祖ともいわれるニーチェは「神は死んだ」と宣言し、ユダヤキリスト教的な神の支配(現実も思想も含めて)を否定し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開した。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは1844年10月15日プロイセン王国の牧師の家庭に生まれた。裕福な家庭だったが、幼少期に父が亡くなり、親戚の家で暮らすことになる。それでも優秀な成績でギムナジウムを卒業し、ボン大学、ライプツィヒ大学で神学と古典学を学ぶが、キリスト教信仰よりもギリシャ古代の哲学や文学に親しむようになる。