

景気が良くて、すべてにイケイケだった「バブル」を、学生時代や社会人初期に経験した50代の人々。人生の折り返し点を迎え、彼らの中にバブル時代の就職で身につけた知識や専門性をもとに「社会貢献」の道を選ぶ人が出てきた。なぜなのか。朝日新聞編集委員・秋山訓子氏がリポートする。AERA 2019年11月4日号に掲載された記事を紹介する。
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永遠に好景気が続くと思えたバブルの時代。有馬充美(ありまあつみ)さん(57)は今回登場する人の中で、最もその時代を謳歌した人と言えるかもしれない。1986年に総合職の1期生として第一勧業銀行(当時)に入行。よく稼ぎ、よく使った。最初のボーナスは有名フレンチに行き、散財。「1人10万円くらいだったかな」。仕事の後はカラオケで「タクシーがつかまらないから、朝まで歌うこともしょっちゅう」。休みはゴルフにスキーだ。
留学を経て結婚、出産。総合職で初の産休・育休で、仕事と子育ての両立に自信がなく、退職しようかと悩んでいた。すると、実家の母にこう諭された。
「自分は働きたかったけど働けなかった。もし今仕事をやめたら後で私の人生、何だったんだろうと思う時が来る。私が助ける」
母は毎週クール便でコロッケや煮物など手作りの総菜を送ってくれた。
「そこまでしてもらったら、やるしかない」
企業のM&A(合併・買収)部門などでキャリアを積んだが、商品企画部門にいたときに、パラリンピック競泳選手、成田真由美さん(49)の講演を聞き、ひらめいた。
「日本は高齢化社会になる。バリアフリーの設備投資に融資し、しかもその企業が『社会にいいことをしている』と見せるのはどうか」
ハートフルローンと名付け、融資先を「ハートフル企業」として銀行のサイトで公表。社会的な取り組みに関心が移ってきた。
2014年春、みずほ銀行で女性初の執行役員となった。国際営業部で、ロート製薬の投資先としてインドで貧困層に無料の医療を提供する眼科医院の設立者を紹介し、結実する。