東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
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※写真はイメージ(gettyimages)
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 米国で奴隷の子孫への補償を求める声が高まっているとの記事を読んだ。アフリカから強制連行された奴隷が独立前の米国に足を踏み入れたのは、1619年。今年で400年となり、節目を期に議論が高まっているという。

 奴隷制は忌まわしい過去である。リンカーンによる奴隷解放宣言から1世紀半、公民権運動からも半世紀が経つが、いまも米国にはさまざまな格差や差別が残り、その原因は遡(さかのぼ)れば奴隷制に帰着する。社会全体としてその過去に直面すべきだ、との訴えは正当だろう。トランプ政権下での白人至上主義の復権も背景にある。

 とはいえ、個別補償が解決になるかといえば、判断はむずかしい。奴隷制は1世紀以上前に廃止されており、生存者はおらず遺族の確定は困難だ。拙速な議論は分断を深めるだけにも思われる。

 近年、歴史的事件について、被害側(被害者だけでなくその遺族や子孫など)による責任追及や補償の要求が世界的に強まっている。グローバリズムや多文化主義の進展、SNSの普及などがそれらの声を後押ししている。日本もまた韓国とのあいだに論争を抱えている。

 人間は悪を犯す。それを記憶し未来に生かすことは不可欠である。加害者の反省と被害者の救済は絶対に必要だ。

 けれども、その追求はどこまで遡行できるだろうか。世紀単位の過去について、先祖がいかなる加害にも関わっていない集団などあるだろうか。人々を加害側と被害側にわけ、後者の訴えを無条件に支持することがいまの「リベラル知識人」の流行だが、それはときに思考の怠惰にも見える。被害側の権利要求は新たな憎悪につながることもある。歴史はそんな皮肉に満ちている。

 加害側は加害を忘れる。あるいは忘れたふりをする。被害側はその忘却を阻止するため、要求を次々と過激化させる。いま世界中で起きているのはそのような悪循環だが、そこで本当に求められているのは「加害側が害の存在を記憶し続けていること」だ。加害側がその責務を果たさないかぎり、悪循環はとまらない。知識人はその記憶の道こそを考えねばならない。

AERA 2019年9月30日号