「アジアで勝てないと世界に行けない。アジア突破がそれまでの男子の物差しだった。でも、世界を知らないとアジアは突破できないと思った」
基準を測る物差しを「アジア」から「世界」に変えた東野が最初に仲間に引きこんだのは、ウィザーズなどで8年間スポーツパフォーマンスコーチを務めるなど、NBAを知る佐藤晃一(48)だった。スポーツパフォーマンスコーチとは、メディカル(医療)と体の強化を組み合わせ、個々に合わせたプログラムを組んで鍛え上げる役目を担う。
もともと東野に影響を与えたのは、15年のラグビーW杯で優勝候補の南アフリカを撃破した日本代表をGMとして支えた岩渕健輔(43)との邂逅だった。当時日本バスケは、「技術は高いのにチームは弱い」と言われていた。同様に言われてきた日本ラグビーを変えた岩渕から、フィジカル強化の重要性を直接聞き、意を強くした。
東野が技術委員長に就任した年、佐藤はスポーツパフォーマンス部会の委員長に。代表選手のみならず、12歳以下から始まるアンダーカテゴリーからBリーグまで、日本バスケット界全体に意識改革を進めた。最新のトレーニング方法ではなく、既存のメニューをいかに正しくやるかを伝えた。米国帰りのトレーナー5人も集めた。
「体を変える前に、取り組む姿勢を変える必要があった」
と佐藤。指導者が「足はどのくらい開けばいいか?」と尋ねてきたら、「股関節の柔らかさは個々で異なるので答えられない」と返し、選手が自分で考える力を身につけるよう導いた。
「バスケットならNBAのコービー・ブライアント、サッカーなら中田英寿のように頭を使う選手を育てないと強くならない」
そう断言する佐藤は、スタートしたBリーグの監督会議で噛んで含めるように説明した。
「日本の選手はボールを使う全体練習以外のトレーニングを習慣にしてほしい。日本のスタンダードを上げるんです」
先陣を切ってこれを徹底させたアルバルク東京はリーグ王者になった。