しかし、たまに「お金もいらないし、偉くもなりたくないから、勉強しなくていいですか?」というような子どもが現れると、みんな困ってしまいます。あなたならどう応えますか?
江戸時代、教養があるというのは、人の気持ちを分かることだという考え方がありました。つまり、学ぶ理由は「人の気持ちを分かるため」だというわけです。たくさんのことを学べば、より多くの人の気持ちが分かり、共感できる可能性が高まります。その結果、人々から信頼されるので、仕事を任され、リーダーシップを発揮することになる。そうすれば、結果として地位やお金はついてくるものだというんですね。
ぼくはこの考え方がとても好きです。お金や地位が目標の人が(本当の意味で)信頼されるとは思いませんし、お金や地位がいらない人はいても、人の気持ちを分かりたくない人は(本当は)いないと思うのです。それに、たくさんのことを学べば、やりたいことや夢が見つかる可能性だって高まります。
ちなみに、同じ江戸時代には遊び尽くしたお金持ちの商人も私塾にやってきました。同じことをしても、知識や教養があったほうが、より楽しめるからです。つまり楽しく生きるため、というのも学ぶ理由になるんですね。たとえいまが楽しくなくても、学んだらどんどん楽しくなってくるかもしれない。
「学は人たる所以(ゆえん)を学ぶなり」
これは、江戸時代の教育者、吉田松陰が教えた松下村塾のコンセプトで、「学びとは人であるからにはどうあるべきかを探究することだ」ということです。つまり、人の気持ちが分かり、よりよい選択をして、よりよく生きるためには、人について理解する必要があるというわけです。
では、人であるとはどういうことでしょうか? そして、自分はどういう人間なのでしょうか?
それは、「いかに生きるかを自分で選択できること」であり、そのために「正しく考えられること」「人の気持ちが分かること」です。
その一番の基礎になるのが、リベラルアーツと呼ばれる学びなのです。
矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)/「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授。大手予備校などで中学受験の講師として20年勤めた後、2014年「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。実際に中学・高校や大学院で行っている「リベラルアーツ」の授業をベースにした『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)を3月20日に発売
(構成 教育エディター 江口祐子/生活・文化編集部)