世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描いたノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が話題だ。著者のブレイディみかこさんとマンガ家のヤマザキマリさんが、個性豊かな子育てを語り合った。
【ツーショット写真】パンク好きという共通点に対談は盛り上がった
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ヤマザキマリ:本を拝読してて思ったのですが、ブレイディさんの子育てにおけるご家庭での距離感がうちとそっくりだなあと。子どもは親に振り回されまくって、気がついたら親よりしっかりしてた、という展開が。
ブレイディミカコ:同じです!
ヤマザキ:よく日本と海外の教育の違いを取り上げられるけど、自立心のある子どもというのは、多様な要素によって育つのかもしれません。海外の教育環境とか、両親の国籍が違うとか、そんなことだけじゃない。
ブレイディ:日本ってまだそんなグチャグチャにはなってないですけど、彼らはグチャグチャを毎日体験している。自分で処世術を身につけながらいろいろやっているから、そこが日本の子どもたちとは違うんでしょうね。
ヤマザキ:そうそう。
ブレイディ:あと家庭環境ですよね。両親の国籍が違うということもあるけど、なんか違うんですよ。私の子どもだけど子どもじゃない。これが日本人同士の親だと、私の子どもだから私の一部みたいな感じですよね。
ヤマザキ:日本の親にはそう捉える人が多いですけど、私にとって息子は最初から別の人でしたね。全身全霊で守る存在ではあっても、とても自分の一部とは思えなかった。
ブレイディ:そうですよね。
ヤマザキ:ブレイディさんのご主人が金融関係の仕事をリストラされてから、自らが憧れていたトラックの運転手という肉体労働者になった。かたや息子さんはカトリックのエリート公立校から、いきなり「元・底辺中学校」に進学。社会の実態の縮図みたいな環境がブレイディ家の中にコンパクトにある。だけど日本の親は社会の汚点を隠し、きれいな部分だけ見せようとする。そうやって育てられた子どもたちが、将来自分たちにとっての「重石」となる自信を得ることは難しいかもしれませんね。