たとえば野生動物を保護することを善とする人もいますし、野生のまま見守ることを善とする人もいます。「法律ではよいことになっているけれど、自分はやめたほうがよいと思う」なんてことはたくさんあると思います。法律だって国や時代によってまったく違います。

 よく「自分がされたら嫌なことを、人にしてはいけない」といいますが、これについてはどう思いますか?この意見は一見もっともらしいのですが、よく考えてみると、自分と他者の感覚が同じであるという隠れた前提があります。では、自分が嫌じゃなければ問題ないのでしょうか? それこそ食べものの好き嫌いがみな違うように、行為の好き嫌いや、その度合いもみな違います。自分がされて嫌かどうかではなくて、自分はよくても相手が嫌がったらダメなんです。

 ぼくらは性格も経験も価値観も違います。お互いに完全に分かり合うことは不可能です。でも、だから諦めてしまうのではなくて、すこしでも分かろう、想像しようという姿勢こそが大事なはずです。

 あらゆるコミュニケーションは、お互いが向き合うことから始まります。そのためにも、まず自分がどういう価値観を持っているのかを認識することで、他者とは違うんだということ、また誰もが違うんだということを実感することが大事なのだと思います。

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)/「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授。大手予備校などで中学受験の講師として20年勤めた後、2014年「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。実際に中学・高校や大学院で行っている「リベラルアーツ」の授業をベースにした『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)を3月20日に発売

(構成 教育エディター 江口祐子/生活・文化編集部)

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