「キャリアを通じてもう一方の側のストーリーを描き、白か黒かということでない、もっと灰色な現実を描写してこられましたね」
こう私が問いかけると、イーストウッドは「そう」「そう」と5度繰り返し、その代表的な作品「硫黄島からの手紙」にかけた思いを語ってくれた。
「資料を読み進めるうち、(生きて帰る)希望が全くない状態で、あの島に取り残されているというのはどういう気持ちだったんだろうと思ったんだ」
そして彼は東京に行き、当時の石原慎太郎・都知事に会った。石原が作家で、映画も作ることを知り、意気投合。遺族らで作る硫黄島協会の同意を得て撮影に臨んだという。
「日本の若い人たちは過去にああいうドラマがあったことを知らない。歴史に刻む価値がある物語だと思った」
そして、「私が作ったなかでは、より良い映画の一つ」と、彼が自身の映画について語るときの最大限の自負を口にした。
「戦争は二度と起こさないようにしないといけないからね」
思いを静かに語ったあと、ちょっとシリアスになりすぎたと思ったのか、「ピクニックではないんだから」と軽いジョークを言い、自分で笑った。最後までイーストウッドだった。(朝日新聞記者・尾形聡彦)
※AERA 2019年4月15日号