特に印象に残っているのは、約17年もの逃亡の末に逮捕された高橋克也受刑者(60)の公判における広瀬の様子だったという。2015年2月に行われた高橋受刑者の第17回公判の証人尋問に、広瀬元死刑囚が出廷。事件前夜に、高橋受刑者も一緒にいた都内のアジトで、井上嘉浩元死刑囚(享年48)から「『サリンをまく量が増えた』と指示を受けた」と証言をした。この時、被害者参加人として法廷にいた高橋さんは、広瀬元死刑囚の様子を間近で観察していた。検察官の尋問に対して証言した広瀬元死刑囚の表情には、信念を貫こうとする意志を感じたという。
「広瀬はもう死刑が確定しているのだから、どんな証言をしようと自分に有利になることはない。それでも毅然として証言をしたのは、大きな葛藤を乗り越えて、知っている事実を話すという自分の役割をまっとうしようとしたのだと思います。その姿勢は評価していたし、手記を読んでも誠実な印象は変わらなかった」
本書の基になったのは、大学生に向けて08年に書いた「カルトへの入会を防止するための手紙」。自らの生い立ちからオウムへの入信、麻原に帰依して事件を起こすまでの過程が便箋60枚近くにわたって平易な言葉でつづられ、法廷では語り切れなかった自身の内奥をさらけ出している。悔悟と反省の思いとともに、未来への教訓として「手紙」を残さねばならないという本人の強い意志がうかがえる。
もう一つ、高橋さんが覚えているエピソードがある。それは、広瀬元死刑囚の母親との接点だ。裁判を傍聴すると、いつも母親の姿があったという。ある日、裁判所のロビーで呼び止められた高橋さんが、今にも土下座せんばかりの広瀬の母親の機先を制して「やめてください」と言ってあえて言葉を交わさなかった、という回想が寄稿文に収められている。
高橋さんは、そのときの自身の行為について、「なんと情け容赦のない、ひどい言葉だったことか」と後悔の念をつづっているが、母親とは別の日にも接点があったという。一審で広瀬元死刑囚の死刑判決が出たとき、法廷の外のベンチで呆然とする母親の姿があった。高橋さんは、黙って通り過ぎることもできず、「大丈夫ですか」と声をかけて手を重ねたという。
「話はしませんでしたが、息子が死刑判決を受けたのですから、その気持ちは想像できます。立場は違うけれども、この先どうなるか不安な思いで裁判を傍聴していたお母さんの気持ちは、そばで見ていてよくわかりました。手記に寄稿したのは、お母さんの存在も大きな理由です」
(編集部・作田裕史)
※AERA 2019年3月25号より抜粋