衰退したルール炭鉱地帯の再生プロジェクトで訪れたドイツのデュイスブルグで。69歳のとき=2018年7月、石川幹子さん提供
衰退したルール炭鉱地帯の再生プロジェクトで訪れたドイツのデュイスブルグで。69歳のとき=2018年7月、石川幹子さん提供
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 東京の明治神宮外苑に根をおろした約1000本の樹木を伐採する開発計画に、学者として敢然と異を唱えた中央大学研究開発機構教授の石川幹子さんは、26歳で結婚した。義父母と同居して「嫁」の役割を果たしつつ3人の子を産んでから、学者になろうと志す。

 42歳にして母校東京大学の博士課程に入り、誰もが自由に利用できる「コモンズ」としての緑地の歴史と価値を研究して博士号を取得。その3年後、夫が心臓発作で倒れた。1年3カ月後に51歳で他界。一家の生活を背負う立場となり、大学教授として理論と実践の両面で次々と大きな仕事を手掛けて各種の賞を受賞してきた。設計した公園、守った緑地は国内外に数多い。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

>>【前編:神宮外苑再開発に「何かおかしい」と図面を片手に学術調査、女性都市環境学者の原点 中国、ブータン、東日本大震災復興でコモンズ再生を実践】から続く

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――学者になる前は主婦だったとうかがいました。

 そうなんですよ。子どもを3人育て、夫の両親と同居して、みんなのごはんを作っていました。東大農学部の大学院博士課程に入ったのが42歳のとき。一番下の子が小学校に上がるタイミングで、3人の子どもを集めて「今までお母さんはあなたたちのために一生懸命やってきたけど、お母さんはやっぱり勉強したいから大学に入る。反対してもダメよ」って言ったら、子どもたちは顔を見合わせて「誰も反対しないよ」って。私は悲壮な覚悟をして言ったんだけど、あれは面白かったですね。

――卒業された学科の博士課程に入られたんですか?

 そうです。東大に入ってから「理不尽な開発をなくす学問」はないかと調べたら、農学部農業生物学科に緑地学研究室というのがあった。そこを卒業して不動産会社に就職しました。ニュータウン開発とかがすごかった時代で、私はものすごく大きな仕事を任され、設計事務所や現場の職人さんたちに発注者として指示しないといけない。現場のおじさんに、学校で教えてもらえなかったことをいろいろ教えてもらったりしながら、「自分はもっと勉強すべきだ」という思いが募り、2年後に米ハーバード大学デザイン大学院の修士課程に入りました。

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高橋真理子

高橋真理子

高橋真理子(たかはし・まりこ)/ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネータ―。1956年生まれ。東京大学理学部物理学科卒。40年余勤めた朝日新聞ではほぼ一貫して科学技術や医療の報道に関わった。著書に『重力波発見! 新しい天文学の扉を開く黄金のカギ』(新潮選書)など

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