――なるほど。

 私が最初に国際競技設計にチャレンジしたのは、スペイン・マドリードの「21世紀の公園」でしたが、これはEU環境基金が財源でした。貧困層の生活環境を改善するために巨大なゴミ捨て場を森林公園へと転換するというプロジェクトで、建築家の伊東豊雄さんとチームを組んで応募し1位になりました。

――すごい!

 公園は2003年から10年かけて完成させました。その後も伊東さんとは一緒に良い作品をずいぶんつくっていますよ。相手を尊重してくれるのが彼のいいところ。建物はお庭や風景の中で生きてくるものですから、お互いに相手を尊重して仕事をしてきました。

 大きな社会的仕事を実現していくには「協働」が必須です。私は、その場その場で、本当に素晴らしい方々に巡り合ってきた。2008年に発生した中国の四川大地震の農村復興支援プロジェクトは現在も続いています。東日本大震災では、私の故郷の宮城県岩沼市も津波被害を受けたので、そこの復興会議議長を務めて住民と一緒に新しいまちづくりを進めてきました。

 震災のときに、ブータンの王様が被災地の福島県にお見舞いにきてくださり、そのお礼に福島の皆さんとブータンに行きました。そうしたら、首都が開発の波に翻弄されていて、王様にコモンズをつくることを進言しました。素晴らしい王様で、王族に呼びかけ、王宮の周りの棚田や森林を保全し、コモンズがつくり出されています。

ブータン王国首都ティンプーでコモンズとして整備した「ロイヤルパーク」。後ろにタシチョンゾン王宮が小さく見える=2019年5月、石川幹子さん提供
ブータン王国首都ティンプーでコモンズとして整備した「ロイヤルパーク」。後ろにタシチョンゾン王宮が小さく見える=2019年5月、石川幹子さん提供

 外苑の樹木の保存活動は、こうした社会奉仕の一つです。考えてみると、私はずっと奉仕活動を実践してきました。キリスト教系のミッションスクールで育ったからかもしれません。

――本当に幅広いご活躍ですね。お生まれは宮城県岩沼市なんですね。

 はい、仙台の南、電車で30分ほどの海沿いのまちです。うちは祖父が政治家をしていて、いつもいろんな方が出入りしていて、プライバシーなんてない状態。私はそういうのがとっても嫌で、もっと真っ当な暮らしをしたい、それは学問だろうと思っていました。

 中学高校は仙台の宮城学院です。お嬢様学校で、休み時間になると机の中から箱を出してレース編みをやるの。競争でね。私なんかフランス刺繍、上手でしたよ。

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