そんなとき、悔しさで仕事が手に着かなかった経験はないか?なぜ自分にばかり厳しく当たるのだろうと、くよくよしたことはないか?はらわたが煮えくり返り、家に帰ってもなかなか怒りがおさまらなかったことはないか?

しかし、間違っても「やり返してやろう」などと思っていないことを祈る。実は、あなたのそうした思考が最も危険なのだ。

2013年一世を風靡した流行語「倍返し」、松坂大輔がプロ入り直後に流行語にした「リベンジ」、さすが仇討文化のある我が国ならではの国民的支持である。かくいう私もどっぷり日本人なので、これらに共感する部分もしっかりある。

しかし同時に「この言葉が受けてしまう日本は危ないなあ」とも思う。怒りとか憤り、ましてや仕返しなど無駄で後ろ向きなことなのだ。終わったことにこだわってさらに悪循環に陥る可能性がある。

アホが許せないという責任感や正義感はある意味素晴らしいが、やはりナイーブだともいえる。

正義感や責任感の裏には、日本のテレビや教育、その底辺に流れる勧善懲悪という甘えがある。“最後に水戸黄門や大岡越前が出てきて助けてくれる。悪い奴はやっつけられる”という信仰だ。残念ながら、勧善懲悪などなかなか起こらない。いい悪いではなく、それが人生、現実世界だ。

悪い奴ほど出世する。どうやら真理と善悪とは別である。私が知る限り、少なくとも成功する人は善悪ではなく真理を追求しているようだ。いい人生を送りたかったら、善悪の判断はできたほうがいいが、善悪、もっといえば勧善懲悪にこだわってはいけない。追求すべきは「真理」だ。一つの真理は、勧善懲悪を人生に期待してはいけないということだと思う。

悔しい過去にこだわり、未来を犠牲にするか、それとも、成功するための真理に集中するのか。過去を引きずるより、もう終わったことにしたほうが傷は浅いのに、悔しさを晴らそうと、さらに過去に時間とエネルギーを投資してしまう。

残念ながら、日本のような嫉妬社会ではアホが出世しやすい。能力がある人格者は、出世する途中で多数のアホに足を引っ張られてつぶされる可能性が高いからだ。そんな事例を政界やビジネス界でたくさん見てきた。アホはアホを気持ちよく支持するのだ。

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戦うべき相手は「くよくよ悩む自分」