「講談師が講談で、落語家に引けを取らずに笑いを取っていることに驚きました」(杉江さん)
本を読むというより、一人芝居のような印象。
本来、講談とはいわば二枚目芸。活劇の格好よさ、人情の深い場面を様々な口調で読み聞かせるもので、あまり「笑わせる」類いの芸ではないと考えていた。
「三代目神田山陽さんのように、受ける講談師もいるとは知っていました。が、彼も高座から遠ざかって久しく、長くそういう講談師はいなかったんですね」
興味を抱いて、取材を始めた。新作のイメージの強かった松之丞だが、「2017年頃からは連続ものに注力して取り組むようになった」と杉江さんは言う。
落語でも講談でも、古典芸能をどう現代と切り結んでいくかは、芸人たちに共通する課題だ。伝統をそのままかけていたのでは売れず、客にも浸透しない。
「たとえば、『講談』というスタイルを借りて売れたいのか、古典がおもしろいものだから伝えたいと思ってやっているのか、芸を見ればすぐわかる。彼は、講談そのものを聞かせたいと考え、講談の本流を目指していると感じたんです」
最近、東京・よみうりホールで赤穂義士伝から、堀部安兵衛を描いた3席を聞いた。
「3席のなかに、活劇、人情、忠義、講談に必要な要素がすべて揃っているんですよね」
天才を人は見逃さない。称賛があれば、妬みや嫉みも時には生まれる。
「本人も覚悟しているとおり、彼は講談界の広告塔です。けれども、講談の座席数はせいぜい千か2千と限られていて、講談を多くの人に伝えるためには、多くの高座を務めるしかなくなる。心身ともにバランスを取りながら、一人でも多くのビギナーを獲得してほしい」
(編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年12月10日号より抜粋