いまいちばんチケットが取れない講談師、神田松之丞さんがAERAに登場。下積み時代から、現在に至るまでのエピソードを明かした。
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友だち付き合いや部活より、ラジオを聞き、寄席に通いつめた。
講談を聞いたとき、「ここが居場所になるかもしれない」と漠然と感じた。
いまいちばんチケットが取れない講談師。講談界の風雲児。神田松之丞にはそんな枕詞がついてまわる。ここ数年の躍進は目覚ましい。二ツ目でありながら独演会はたちまち完売、観客は大きなホールを埋め尽くす。
その求心力は、間違いなく、寄席の常連はもちろん、講談をはじめて聞いた人をも虜にする卓越した芸にある。
浪人時代から寄席に通いつめ、芸人として客席の向こうに行きたくてこの道に入った。意外にも、前座時代は「てんでダメだった」という。
「コミュニケーション能力が不足していて、気遣いが全然できない。着物をうまく畳めないし、太鼓も下手。師匠がたには呆れられましたし、随分怒られましたねえ」
毎日5、6時間、ひたすら雑用をこなし、楽屋でほかの前座と他愛ない話をしつつ、稽古のことばかり考えた。
胸にはくすぶる思いがあった。
二ツ目になったら、見ていろ。ダメだった前座が高座では結果を出すんだ。ぼくには自信があるんだ──。
待ち焦がれた二ツ目の披露目、先輩が自分のために時間を詰めてくれた。その優しさにじんと来た。気持ちも高ぶった。
「ここからがスタートだ!ってね。新宿、浅草、池袋と寄席をまわって、一度も滑らなかったんじゃないかな。見たか!と思いましたね。うれしかったし、毎日が楽しかったですね」
空前の落語ブームといわれ、落語家は東西あわせて800人以上、東京だけで500人以上いる。けれども、講談は「マイナー」な伝統芸能。講談師は現在、東京に60人ほどしかいない。ラジオやテレビと精力的に活動の場を広げたのは、未来のファンを講談へ導くためだ。
「講談の魅力は生でこそ伝わる。少しでも多くの人に、『講談はこんなにおもしろかったのか』と思ってほしいんです」
(編集部・熊澤志保)
※AERA 2018年12月10日号