東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
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写真:gettyimages
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 ロシア中部の都市ペルミにいる。シベリア鉄道の中継地として知られる工業都市だ。この街の北東80キロほどには、広いロシアでもほぼ唯一の、一般に公開された旧ソ連時代の収容所跡「ペルミ36」が存在する。その取材に訪れた。

 ペルミ36は、1946年に旧ソ連の巨大収容所システム(グラーグ)の一つとして建設された。スターリンの死後いったん機能を変えたが、70年代に政治犯中心の監獄として再編され、冷戦崩壊直前まで使われる。90年代に入ると政治的抑圧の象徴となり、市民団体が運営する博物館として公開が始まった。バラックや管理棟、鉄条網の一部などが残り、ソ連体制下で自由を奪われた人々の生活をしのぶことができる。

 ソ連の記憶は、ロシアの人々にとって愛憎入り乱れるもののようである。恥ずべき過去との思いの一方、栄光を回顧する心情も強い。とくにプーチン政権下では愛国主義が高まりを見せており、15年の世論調査ではスターリン肯定が否定を上まわった。ペルミ36もそんな時代の波に翻弄されており、14年には博物館ごと国営化され、リベラルの館長が職を解かれる事件があった。とはいえ、展示はいまでも刺激的で、外部博物館との連携も積極的に進めており、学芸員の信念を感じさせるものとなっている。国外からの注目も高く、昨年は40カ国以上から2万5千人が訪れたという。

 このような場所に来るといつも思うのが、日本人の忘れっぽさである。ロシアはしばしば、ドイツとの比較で過去の反省がない国と言われる。実際スターリンはヒトラーのように明確に否定されているわけではない。しかしロシアには反体制の強い伝統がある。ペルミ36を支えているのは、ソ連時代の抑圧や地下出版の記憶であり、その点ではリベラルも過去との連続を大切にしている。保守とは重視する過去がちがうだけである。

 学芸員によると、日本人はほとんどペルミ36を訪れないらしい。珍しいので写真を撮って公開してよいかと尋ねられ、快諾しつつも赤面の思いがした。日本人もシベリア抑留で多くがグラーグに送られている。それをいまどれほどの日本人が記憶しているだろう。

AERA 2018年11月19日号