学校の先生をしていた母は、漫画を「ポンチ絵」と呼んでいて、全く理解がなかったという。
「末っ子として可愛がられましたが、家の中での立場は弱い。迫害されたこともあります(笑)。とにかく早く独立して、漫画をゆっくり描ける環境を作りたかった。人に干渉されずに、一人で生きたいと思っていました」
その一方で、「家が貧乏なことは屈辱だけれど、他にはマイナスの要素を持ちたくない」と、中学校では成績優秀だった。
「プライドが高かったんですね。性別や身長など、自分でどうしようもない条件は受け入れるしかないけれど、自分に実力さえあれば、状況は変えられると信じていました」
尋常ならざる努力とプライド──この二つは、一条さんの作家活動におけるキーワードだ。
「私はずっと、女性も手に職をつけて自立すべきだと思って、作品を描いてきました。だって自立していないと、自分の人生をコントロールできないでしょう。デビューしたときから、自分はずっと漫画を描いていくんだと考えていました。それも一時的に人気が出て消えてしまうのではなく、自分の描きたい漫画を描き続ける、漫画の『匠(たくみ)』になりたかった。そのためにデビューしてからの3年間を使って、いろいろなテイストの作品を描いて、自分には何が似合って、何を描きたいのか探しました」
トライ・アンド・エラーの3年間を過ごすつもりが、あっという間に人気漫画家に。一方で、「これが流行っているから描いたら?」といった編集からの提案には、言うことをきかなかった。
「編集者から見たら、わがままな新人だったと思います。デビュー当時、少女漫画は青年漫画に比べて、自動車や背景がいいかげんだと下に見られていたんですよね。青年漫画の編集者に面と向かって言われたこともあります。そういう時に私、キレたりしないんです。画力をつけるためにデッサン教室に通い、自動車やバイクは弓月光さんや新谷かおるさん、聖悠紀さんなど、男性漫画家にアシスタントをお願いしました。屈辱的な目に遭うと、燃えるんですよ」