ろう者の今を描く映画「ヴァンサンへの手紙」が東京・アップリンク渋谷ほか、全国で順次公開中だ。聞こえる人が、聞こえないということを想像するのは難しい。聴者である監督が、まっすぐに訴える映画のメッセージとは何か。レティシア・カートン監督(44)に、本作に込めた思いを聞く。
* * *
この映画は、フランスの「ろう者」の今を描くドキュメンタリーだ。監督は聞こえる人、つまり「聴者」だけれど、「ろう者」に寄り添う姿勢を貫いている。昨春あった「東京ろう映画祭」で上映されて評判になり、今回の日本公開になった。
映画は、監督が10年前に自死した友人「ヴァンサン」あてに書いた手紙を読む、そんな形式をとる。ヴァンサンは「ろう者」の男性。手話を学ぶ監督にとって、初めての「ろう者」の友人だった。
ここで、映画の理解に大切なことを説明しておく。
「ろう者」。それは、生まれつき耳が聞こえないか、言語を習得する3~4歳ごろまでに聴力を失った人、のこと。聴者は「そんなこと知ってるさ」と言うかもしれない。問題は、その先だ。
まず、全ての「ろう者」は手話を使うと思っていないだろうか。実は、手話を使わない人もいるのだ。
さらに、ろう学校では、長く手話が禁止されていた。話している人の口の形を読みとり、聞いたことがないのに口の形をまねて発声する、そんな口話教育がされてきたのだ。手話が廃れなかったのは、教諭の目が届かないところで受け継がれてきたからだ。
人工内耳の手術をすれば聴者と同じように聞こえる、も大間違い。手術の結果はまちまち、効果がないこともある。手術を受けても、聞こえる世界にも聞こえない世界にも、自分の居場所がなくて苦しむ人もいる。
他にも説明したいことはあるが、ここでは割愛。理解が必要な理由は、映画を見たら分かっていただけると思う。
さて、ヴァンサンと監督の話に戻る。ヴァンサンが自死した理由は、障害者差別の苦しみなどからとみられる。彼の死から監督はカメラを回した。200時間分の映像を、1年かけて2時間弱にまとめた。