急逝した翁長雄志・前沖縄県知事は、辺野古移設反対を訴えるなど沖縄のために力を尽くしてきた。その勇姿を見守り続けてきた妻・翁長樹子さんが、翁長氏の素顔や政治家としての苦悩を明かす。
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二人が出会ったのは翁長氏が27歳、樹子さんが22歳のとき。沖縄地方などに引き継がれる、グループで相互扶助をしながらお互いの友人関係を深める「模合」の場だった。
「30人ぐらいの模合グループで行くキャンプに参加したらその中に翁長がいました。当時は体重100キロの巨漢で、眼鏡をかけていたこともあり大橋巨泉さんみたいなイメージでした。二人とも那覇高校の出身ということもあって、それ以来、集まりがあると声を掛けてもらったのです」
当時、翁長氏は法政大学法学部を卒業後、司法試験を受けるために浪人。同時に兄弟の経営する土木建築会社の手伝いをしていた。樹子さんは、翁長氏の気づかいに感心したという。
「みんなに気を配るのが得意で、気のある男女同士を見抜いて上手く引き合わせたりしていました。あるとき私が『みんな楽しそうでいいですね』と振ると、『模合の集まりがあまりにも楽しいから女性たちの婚期を遅らせてしまい申し訳ないことをした』と言うのです。そこまで考えられる人はなかなかいません。その時、この人を手放したくないと思ったのです」
そこから付き合いが始まり、4カ月で結納。翁長氏のプロポーズの言葉は「政治家になります」だった。父が市・村長、兄が副知事という政治家一家に育った翁長氏は子どものころ、父が落選し、対立候補が当選するのを喜ぶ担任の教師を見た悔しさから、政治家志望を決めたと言われる。
「司法試験を受けたのは肩書が欲しかっただけで、すでに翁長は政治家しか考えられないようになっていました。結婚するときに言われたのは『僕は一生政治から離れられない。頑張るから君も一緒に頑張ってもらいたい』でした。那覇市議選に出馬して当選したのはそれから3年後ぐらいのことです」