塾というと生徒の学力を伸ばすもの、と思いがちだが「学校の成績は上がりません」と断言する、異色の塾もある。そこで生徒が体感するのは、学ぶことの純粋な楽しさだ。
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一見すると、カオスである。ある塾での授業の終盤、生徒たちのテンションが最高潮に達し、教室は異様な熱気に包まれた。
「この画だけを見たら、学級崩壊ですよね」
そう言って笑うのは、塾の主宰者の井本陽久さん(49)。生徒たちからは「イモニイ」の愛称で呼ばれているので、ここでもイモニイと呼ばせてもらう。
生徒たちが夢中になっていたのは「カプラ」という板状の積み木のようなおもちゃを使った「課題」。カプラで大きなアーチをつくろうというもの。中学1年生から3年生が混在する4人1組で取り組む。
はて、数学の授業か、理科の授業か。どちらでもない。イモニイの塾には「教科」という概念がない。テストもない。誤解されては困るので、生徒の保護者には最初に言う。
「学校の成績は上がりません」
くすぐれば、ひとは笑う。イモニイは、子どもたちを知的にくすぐる名人だ。イモニイにくすぐられた生徒たちは、ゲラゲラ笑い、お互いにくすぐり合いを始める。そうなればもう止まらない。それが冒頭のカオスだ。
イモニイは実は、神奈川県の進学校、栄光学園中学校・高等学校の数学教諭だ。毎回の授業をごく自然に「アクティブラーニング」にしてしまうことで知られ、授業には全国から教諭たちが見学に訪れる。全国5位という栄光学園の東大合格者数は、イモニイの授業で生徒たちが学ぶ楽しさを存分に味わった成果の一部でもある。
そのイモニイが、教科の枠すら取っ払い、究極の授業をしてみたいと思って始めたのがこの名もなき教室なのだ。
「うーん、この授業にあえて名前を付けるとすれば、『自分で考えるのがどんどん楽しくなる講座』かな」(イモニイ)
ここで日本の塾や予備校の成り立ちを振り返っておこう。
現在の「学習塾」の先駆けは、1912年に浅草にできた島本時習塾だとされる。当時、旧制中学への受験指導は小学校で行われていた。受験指導が得意なことで有名だった教諭が学校を離れた後、民家の一室で希望者に受験指導を行ったことが始まりだった。
日本には明治以降、全国津々浦々どこへ行っても同質の教育が受けられる学校制度が整備された。誰もが同じ教育を受けることができて、どんな人であっても努力さえすれば要職に就くことができる。世界でもまれに見る開かれた学校制度である。