この時期は、いかに死ぬかというテーマを扱った「死」に関する書籍も多く出版されました。ベストセラーとなった永六輔さんの『大往生』が発売されたのも、94年です。人それぞれが死について考え、自分なりの「死に方」を作っていくという方向へ社会が変化していった。民俗学者の柳田国男が日本人共通のものと見ていた死生観が過去のものとなり、作家の柳田邦男さんのいう「手作りの死生観」が求められます。

 長寿社会となり、時間とお金、知識がある高齢者は「死」について自分なりの考えを持つようになる。その一方で、地方では寺院の維持が困難になり、葬祭仏教の基盤が弱体化してくる。自分の死に方にさまざまな選択肢を持とうとする市民と、危機感を強くする仏教界により、葬送の形式が多様化していくことは間違いないでしょう。しかし、300年以上かけて形成された檀信徒関係や「家」を中心とした墓の所有意識は、今後も主流派であり続けると思います。さらに言えば、「死者との絆」という点においては、地域社会が弱くなった現代こそ、逆に強くなってきている側面もあります。

 2006年、秋川雅史さんの「千の風になって」という曲が大ヒットしました。歌詞には「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません」というフレーズもあり、日本人の死生観の変化も指摘されました。この歌詞が共感を呼んだとすれば、特定の場所に行って弔うという風習は弱まったけれど、いつでも、どこにいても故人を思い続けるという意識への変化が背景にある。お彼岸の時期にお墓にお参りをして済ますのではなく、時と場所を選ばずに故人を弔う気持ちを持ち続けるというのは、死者との絆を強く意識し続けることになります。

 地域の共同体が弱体化した今、自分にとって「大事な人」は親と子と配偶者だけと、とても少数になっています。少数ゆえに、一つ一つの「死」は重くなり、死者との絆も強いものになっていきます。私たちは、その少数の、重いつながりをどうやって維持して、慰めを生み出していくのか。それが問われる時代になっています。過去の日本人がどのような死生観を持ち、今の時代へとつながっているかを知ることは、その第一歩になるはずです。(構成/編集部・作田裕史)

AERA 2018年8月13-20日合併号

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