日本人の「墓離れ」の背景には、江戸時代にできた檀家(だんか)制度の弱体化があると言われる。時代と共に変わってきた私たちの宗教観や死生観は、お墓のあり方と無関係ではない。庶民とお寺との関係、「死」に対する意識はどのように変わってきたのか。『日本人の死生観を読む』(朝日新聞出版)の著書もある宗教学者の島薗進さんに聞いた。
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民衆の祖先崇拝文化を仏教が取り込んで、今のような葬祭仏教を形成してきた日本の歴史は、世界でも特殊なケースです。
今のような檀家制度の基盤は、15世紀から17世紀に生まれたと言われます。国土の津々浦々に仏教寺院が点在するという形態は世界的にも珍しく、一族、地域と結びつく形で、檀信徒関係が形成されてきた。それが江戸時代にキリシタン弾圧と結びつけられる形で、幕府によって檀家制度が作られ、お寺と檀家の関係が非常に強化されました。お寺が宗旨人別帳など戸籍台帳のようなものを管理するようになり、市民がお寺で葬式をすることが標準化しました。
ただ、檀信徒関係が成立した後も、しばらくは葬式や墓の単位は「村」や「同族」であり、地域の家々が集まってお墓を作っていた。それが檀家制度が浸透していくなかで、お寺の中にお墓が作られるようになり、次第に「家単位」のお墓となります。それが標準化するのはもっと新しく、広まったのは明治時代になってからです。
檀信徒関係の成立が17世紀だとして、葬祭仏教の歴史は300年近く続いてきました。遺骨、位牌(いはい)、仏壇など「モノ」を通して死者とつながるという文化は日本人の心に深く根を張り、だからこそ、お墓も世代を超えて死者を祭る重要なアイテムとして機能してきたのです。それが、1980年代後半から90年代に入ると揺らいできます。自然葬という新しい葬法が提案されたり、戒名にお金を払うことへの疑問が出てきたりと、葬祭仏教への問題意識が表出し始めます。