「寺脇は自分の経験だけで『熱気』を判断していた。その殻を破らせたかったんですよ。小倉(久寛)も表現が小さくてね。でも照れ屋だから面白い。それをぶち壊してもう一回照れ屋になったときに、ものすごく面白いボケになる」(三宅さん)
相手が子どもでもそれは同じだ。セリフを理解させるために、説明には時間をかける。稽古するうちに、「この子はこっちの役のほうがいい」と思うこともある。だが、配役は変えない。
「与えられた役は、最後までやってもらわないとね。子どもたちの考え方が、いい方向につながらないような気がするんでね」
SETと並び「熱海五郎一座」にも力を注いできた。さらにここ数年、将来を見据える契機となったのは、2011年に半年間休養した脊柱管狭窄症の闘病だ。期せずして与えられた時間。「自分は何のために生かされているのか」と考え続け、出た結論が「東京喜劇をもう一度盛り上げよう」だった。
かつて、浅草が都内屈指の盛り場だったころ、大衆演劇はエンタメの花形だった。だが、繁華街が渋谷や六本木にとって代わられ、東京喜劇の火も消えた。喜劇人の活躍の場はもっぱらテレビに。さらにそのテレビさえ減ってきた。「分かる人にだけ分かればいい」お笑いがもてはやされる。
「子どもとお年寄りが一緒に楽しめる大衆の笑いが、今の時代にはないんです」
劇場に足を運んでもらいたい。それが今の切なる願いだ。
「笑いってね、相乗効果が大きいんですよ。画面を見てひとりで笑うのと、何百人が同じ舞台を観て笑うのとでは、爆発力が違う。誰かと一緒だと本当に楽しいものなんです」
(ライター・浅野裕見子)
※AERA 7月16日号