奇跡のピアニスト、フジコ・ヘミングのドキュメンタリー映画が公開される。少女時代の絵日記、実らなかった恋、自宅、猫──。特別な時間へいざなわれる。
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「映画の撮影をOKした理由? 今の私を残してほしかったから。私の人生はドキュメンタリーに向いているのよ(笑)」
60代で世界に見いだされたフジコ・ヘミング。コンサートのチケットは常に即日完売。80代のいまも世界を飛び回り、年間60本近くの公演をこなす。取材の日もウィーンから戻ったばかり。なにかいいことがあったらしい。
「チェコ人の恋人が演奏を聴きにきてくれたの。彼はヤキモチ焼きでね。いまはうまくいっているけど、恋愛ってだんだん冷めてくるじゃない? いろいろ欠点が見えてくるし。まあ自分だって人のこと言えないけど。でも私の年で恋をするなんて、ノーマルじゃないのかな」
人と違うことを意識せざるを得ない人生だった。スウェーデン人のデザイナー・建築家だった父と日本人ピアニストの母を持ち、日本で育った彼女はハーフとして差別されることもあった。戦時中には「外国人だから」と意地悪をされたり、配給の知らせを教えてもらえなかったりという経験もしたという。
「ピアノより絵が好きだったけど、父は母に『くれぐれも絵描きにするな』と。生活が苦しかったからでしょう。ピアノは人に教えることができるから」
28歳で念願のドイツ留学。レナード・バーンスタインにも才能を認められる。だが重要なリサイタルの直前に風邪をこじらせ、聴力をほぼ失う悲劇に見舞われた。大きなチャンスを失い、1999年にNHKの番組をきっかけにブレークするまで不遇の時代が続く。それでもピアノを諦めなかった。
「ハンガリーで共演した有名な演奏家が言ってくれたの。『君のベートーベンは素晴らしい。いまの人は実に残酷な音で弾くけれど、本人はあんなカミナリ親父のような弾き方はしなかっただろう。あなたの音をもっと世界中の人に聞かせて』と。うれしかった。そういうことが少しずつあって、心を保つことができたの。あとは信仰ね。神様のおぼしめしのとおりに正直に生きていたら、必ず助けがくる」