連続試合出場の日本記録を持ち「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄さんが71歳で亡くなった。 交流が深かった元朝日新聞編集委員の西村欣也さんが、心優しい素顔を振り返る。
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「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄さんとの長いお付き合いの中で、数々の思い出がある。まず最初に頭に浮かぶのは後に「江夏豊の21球」と呼ばれるあのシーンだ。
1979年のことだ。広島と近鉄の日本シリーズ第7戦。僕は新聞記者としてルーキーイヤーだった。リリーフエースの江夏は、九回裏危機を迎えていた。1点リードで無死一、三塁。広島の古葉竹識監督が動いた。池谷公二郎と北別府学の両投手をブルペンに走らせたのだ。
この時、江夏の心が動いた。「この期に及んで何しとるんじゃ。わしによう任さんというのか」。無死満塁となる。古葉監督の行動は当然といえる。延長戦にも備えなければならない。しかし、江夏のプライドは傷ついていた。味方ベンチをにらみつけていた。そのことに気がついたのが衣笠さんだった。マウンドに行った。
「お前の気持ちはよくわかる。でも、今は1球に集中しろ。お前がやめると言うんなら、俺も一緒にやめてやる」。衣笠さんは言った。江夏の微妙な心の変化に気づいたのは衣笠さんだけだった。極めて繊細な人だった。この無死満塁のピンチを切り抜け、伝説となった「江夏の21球」は衣笠さんのセンシビリティー(感受性)がなければ生まれていないのだ。
「鉄人」の看板は実にやっかいなものだった。連続試合出場の記録を持ち続けていたからだ。何度も途切れそうなピンチがあった。象徴的なのは、79年8月1日の巨人戦だった。西本聖投手から死球を受けた。診断は左の肩甲骨の骨折だった。誰もが、次の試合は出られないと思った。が、衣笠さんは代打で出場した。相手は江川卓。結果は3球三振。それでも、見事なフルスイングだった。
「あの時、1球目はファンのために。2球目は自分のために。3球目は西本君のためにフルスイングしました。それにしても、江川君の球は素晴らしく速かった」。あの状況で相手選手にまで気を配って、試合後コメントしたのだ。さらに、次の試合にはフル出場。常識では考えられないことだった。