若者たちが使う「おいしみ」「やばみ」「つらみ」と言った新しい表現、そして平昌五輪で注目された、カーリング女子の「そだねー」。これらの言葉の背景には日本人的な意識があると、専門家は指摘する。
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「わかりみがあるね!」
「会いたみが深い~」
楽しげに会話する学生たちの間で飛び交う言葉を、杏林大学教授で言語学者の金田一秀穂さんは興味深く観察している。
耳に残る言葉はまだある。
「おいしみ」「うれしみ」「やばみ」「つらみ」。
「おいしい」「うれしい」といった形容詞を名詞にするなら、本来は語尾に「さ」をつけて「おいしさ」「うれしさ」とすべきところだが、なぜか「み」をつけたがる。動詞や助動詞も同様だ。ツイッターでは、「会いたい」と呟くとき、ハッシュタグ「会いたみ」が飛び交う。
「今どきの若者は、日本語を正しく使えない」と年長者は嘆くかもしれない。日本語を正しく使わないのは、若者の日本語力が下がったからなのか。
「そうは思いません。彼らは、短い言葉で身近なことを言語化する能力は非常に高い。ツイッターでもLINEでも、100キロ離れたことや3年先のことはわからなくても、『ランチなう』と、いまを瞬時に書ける。ぼくらの世代はできなかったことです」(金田一さん)
金田一さんが注目するのは、彼らが言葉を作り出す感覚だ。
「『おもしろさ』より『おもしろみ』と表現したほうが、感じ方が深い気がするのでしょう。やりとりしている相手と共感や親密感を得やすいのでは」(同)
単純な事実や正確な言葉遣いより、そこに漂う共感を優先する傾向があるように感じる。だが、実はこの傾向、学生に限ったことではない。
先の平昌五輪では、女子カーリング日本代表が話題になった。競技自体ももちろんだが、プレー中の「そだねー」の言葉がけや、ハーフタイムの軽食をかねた作戦会議「もぐもぐタイム」が注目を集めた。テレビでもぐもぐタイムがカットされると抗議の声があがり、完全中継された。チームには「そだねージャパン」の愛称もついた。