東日本大震災からまもなく7年。いま、2冊の新刊ノンフィクションが注目されている。『津波の霊たち』(リチャード・ロイド パリー著)と『私の夢まで、会いに来てくれた』(金菱清編)。それぞれの著者の二人が、被災地での「死と生の物語」を語り合った。
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──お二人が東日本大震災に継続的に取り組まなければ、と使命感を持ち、書籍を執筆されたのは、どのような思いからだったのでしょうか。
金菱:社会学者の清水幾太郎先生が関東大震災のとき、「地震には、何か質の違う物があって、大地が深い底から揺れ始めると、人間の存在も深い底から揺れ始める」と書かれています。私も阪神・淡路大震災と東日本大震災を震源地に近い場所で経験し、自分自身でなくなるような何かを感じたことがこの7年間の使命感にもつながっています。
ロイド パリー:私も金菱先生と同じような感覚です。20年以上、日本に住んでいますが、来日直後に初めての地震を経験し、衝撃を受けました。東京が将来、大震災を免れないことも知っています。東日本大震災は被害が大きく、日々の報道ではカバーしきれない事例が多々ありました。それらを包含しながら、公正公平な目で本を執筆する必要があると感じたのです。
金菱先生にうかがいたいのは、何度も津波に襲われている三陸地方の人々は定期的に起こる災害だから避けられないと受け入れているのか、それとも毎回、初めて体験することとして、ショックを受けているのでしょうか。
金菱:震災前から沿岸部の暮らしを調べていたのですが、リチャードさんの『津波の霊たち』に登場する大川小学校のある宮城県石巻市では、津波への危機感はそれほど強くなかったと思います。仙台市も同様です。一方で、石巻市より北にある同県南三陸町や気仙沼市では防災意識が高く、社会的にも文化的にも津波への備えがありました。
●さまよう魂を浄化し供養する唐桑半島
ロイド パリー:私は英語版の『Ghosts of the Tsunami』の読者から、「なぜ日本人はもっと備えができないのか」とよく聞かれました。それに対し、「日本は建物が耐震構造で防災意識も高い。22万人以上が亡くなったスマトラ沖大地震・インド洋津波に比べ、東日本大震災は2万人弱。基本的な備えがなければ、もっと被害は大きかった。唯一の例外が大川小学校のケース」と答えています。
金菱:三陸のある地域では「人生で2度か3度は津波にあうから用心しろ」と親が子へ伝えています。そうした社会的、文化的な備えが、じつは「幽霊」の出方にも影響を与えているのです。
気仙沼市の唐桑半島では、幽霊の目撃談がありません。ここは遠洋漁業が主産業で、津波だけでなく、海難による行方不明者も多い地域です。行方不明者の死を誰が決めるかというと、漁労長です。彼が家族に死の宣告をするんです。また、行方不明者の魂を浄化するために、お寺に魂を呼ぶ「御施餓鬼供養(おせがきくよう)」をします。さらに不幸が起きた海に出るときは穢れを祓う「浜祓い」という儀式をします。こうして除霊されるので、幽霊の出ようがないんです。ところが、石巻市や仙台市では千年ぶりの大津波なので、さまよう魂への対処法が社会的、文化的に備わっていない。そういう地域では幽霊の話が出てくるんです。
ロイド パリー:私が興味深かったのは、被害を受けていない人や地域にも津波が影響を及ぼしていることでした。宮城県栗原市にある通大寺の金田諦應住職にゴーストにとりつかれた人の話をうかがい、お一人にも会いましたが、2人とも津波の被害は受けていません。それなのに、ゴーストにとりつかれる経験をしているのは、彼らの心理的トラウマがそうさせたのだと思うのです。
金菱:霊や超常現象の物語が多いイギリス出身のリチャードさんは、日英で霊の扱いに違いを感じていますか。