批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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イーロン・マスク率いるスペースX社のロケット、ファルコンヘビーの打ち上げが成功した。実験目的の打ち上げだったので、積まれたのはマスク経営のもうひとつの会社、テスラ社製作のスポーツカーだった。真っ赤なロードスターが運転席に宇宙服を納めゆっくりと地球を離れる映像に、度肝を抜かれた読者も多いだろう。
ファルコンヘビーは現時点で世界最大の打ち上げ能力を誇っている。そのロケットを民間が開発した意味は大きい。前世紀の宇宙開発は、米ソの軍拡競争と結びついて国家主導で進められた。それゆえ冷戦終結とともに失速し、ロシアは経済が崩壊、米国でも世論が硬化し宇宙関連予算は縮小を迫られた。スペースシャトルは退役し、人類はアポロ計画以来、もう半世紀近く地球以外の天体に足を踏み入れていない。
スペースX社の成功は、その歴史の転換点になる可能性を秘めている。マスクは火星への野望を隠さない。火星開発は人類の夢である。しかし膨大なコストがかかるわりに、短期的な経済効果は見えない。よほどの独裁国家でないかぎり、血税の投入は不可能だろう。
けれども大富豪の道楽であればべつだ。そして道楽が結果的に大産業を生み出すこともしばしばある。宇宙へ飛び出した真っ赤なスポーツカーは、そんな新しい精神を象徴している。そもそも宇宙開発の歴史は、ロシアの片田舎の高校教師や米国の無名発明家の孤独な研究で始まった。ツィオルコフスキーもゴダードも当初は笑われていた。今後の宇宙開発がマスクのような「変人」(ビジョナリーともいう)の主導で進むのは、むしろ先祖返りと言うべきかもしれない。
それにしても、件(くだん)の発射映像を見て同時に思ったのは、私たちは本当に格差の時代に生きているのだなあという諦めにも似た実感である。現在、世界の富の82%は1%の富裕層に集中している。マスクはその1%の代表格だ。大富豪が世界最大のロケットを作り、愛車を打ち上げる時代。それが米ソが血税を巻き上げて軍人を周回軌道に送っていた時代に比べてよくなっているのかどうか、ぼくにはどうも判断できない。
※AERA 2018年2月26日号