最高裁で訴えが認められるまでに亡くなった原告は21人。聞き取り映像直後に訃報の文字が浮かび、墓碑銘の印象が深い。
「カメラを向けるときは相手から強い感情を引き出そうとする。けれども原告の人たちは本当にいい人たちなんですよね。『ゆきゆきて、神軍』の奥崎(謙三)さんのようにはならない。そこが歯がゆく悩ましかった」
本作品は、原監督にとっても転換点となった。猪突に戦争犯罪を告発し続けた奥崎謙三氏のような被写体とは異なり、監督のカメラが捉えたのは「普通の人」たち。「撮っても撮っても、どうしようと思いましたよ」
監督を悩ませた「普通」がなんとも面白い。「これは編集の秦岳志さんの功績です」と監督がたたえる追加編集で増したのは「感情の襞(ひだ)」ともいえる日々の逸話だ。
厚生労働相との面会を求めるものの門前払い。「お前そんなに金が欲しいんか」と反対する夫を説得し訴訟に加わった女性がマイクを手に、亡くなった夫に向けて「パパ、ごめんね。裁判なんて、するんじゃなかった」と雨中に切々と訴える。観客がもらい泣きする場面だ。
その彼女が、最高裁判決後の謝罪会見場で塩崎恭久厚労相(当時)から両手で手を握られ声をかけられるや「やさしい人やわぁー」と満面の笑み。8年越しの憤怒は霧散。監督はずっこけたという。
「あなた方はもっと怒っていいんだ。なぜこんなにもコロッとだまされてしまうのか。でも、あの彼女が地元泉南での先行上映に、率先してポスター貼りをしてくれている。“怒り”と“寛容”。二つが同居するのが、普通の人たちの普通の人たる所以(ゆえん)なんでしょうねえ」
首をかしげて笑う。一味どころか二味も異なる「見せ場はふんだん」、型破りのドキュメンタリー映画だ。(ライター・朝山実)
※AERA 2018年2月26日号