
ミラノに住む著者が、2013年、ヴェネツィア本島対岸のジュデッカ島に引っ越しし、旅行者としての視点ではなく、「居住者の目線」で街の素顔とそこに暮らす人々の生活の断片を描き出す『対岸のヴェネツィア』。著者である内田洋子さんがAERAインタビューに答えた。
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在伊40年近くという内田洋子さんは、行動範囲が無限大なジャーナリストだ。海、山、島へと果敢に引っ越しを重ね、私たちの知らない「イタリア人の普通の暮らし」を写し取ってきた。
『対岸のヴェネツィア』の執筆にあたっては、古代ローマ帝国以来の歴史がある古都の日常を「居住者の目」でとらえるべく、ヴェネツィア本島対岸の離島に居を構えた。
濃霧、冠水は当たり前というこの地は、常に湿り気を帯びている。水に囲まれている土地柄に加え、人々の「倦怠感」「熟れた吐息」が漂うからだと内田さん。倦怠感、澱、淀み……と生々しい言葉を連ねて「水の都」のリアルを立ちのぼらせる。
けれども、同著を読み進めるうち、不思議と心が温かくなるのは、アクの強い住民の人生が、滋味あふれる表現で描かれているからだろう。
例えば、約千年の歴史を誇るゴンドラの船頭「ゴンドリエーレ」を目指す女性。もともとこの職業は男性だけの世界で、この地の特権でもあり、世襲だった。女性には実質的には門戸が開かれていない。この女性は、彼女のゴンドラをあるホテル「専用の船」とし、自身がそのホテルに雇われた「従業員」とする形を取り、運航を続ける。彼女は海外からヴェネツィアに移り住んだ流浪の人で、ゴンドラ乗りから「出ていけー!」と罵倒されながらもこの地にとどまるのは、「ゴンドラの魅力に取り憑かれた」という純粋な気持ちからだった。
こうした住民の実話を、相手の懐に入って引きつける内田さんの「吸引力」は、半端ではない。
「興味を持ったら、とことん追いかけます」
と屈託なく笑う。
湿地帯の上にできたヴェネツィアの足元は大地ではなく、「何ひとつとして確かなものがない場所」。だからこそ、「恃(たの)めるのは自分だけ」という感覚や、「沈む時は沈むもの。それもあり」という受容の気持ちがおのずと醸成されていく。
6年にもわたる古式帆船での船上生活で「板子一枚で隔てられた不安定な暮らし」を経験したこともある内田さんには、そんなヴェネツィア流の暮らしへの共感がある。
「最近は日本人も、震災が次々と起きて、『寄る辺のなさ』を痛感したのでは。ヴェネツィアの人たちの生き方を見ているとね、何にもしがみつかない生き方もあるのだなと思います」
(ノンフィクションライター・古川雅子)
※AERA 2018年1月15日号