

哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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博多から東京へ向かう新幹線「のぞみ」の台車枠が破断寸前で、大事故の可能性があったとJR西日本が発表した。発車直後から異臭・異音が報告され、保守担当者が停車しての点検を具申したのに、総合指令所は「運転に支障があるほどの状況ではない」と判断し、名古屋まで走らせた。前回に続いて、日本企業の「リスク意識」の低さについて苦言を申し上げなければならない。
リスクヘッジというのは「最悪の事態に備える」ことである。
それは「丁半博打(ばくち)で丁半両方に賭ける」のに似ている。そのつど賭け金の半分は無駄になる。同じように、「最悪の事態」に備えて打った手は、最悪の事態が起こらなければすべて無駄になる。けれども、リスクヘッジとはそういうことである。そのためには「最悪の事態」が起こらないために投じられた資源を決して無駄とはみなさないという習慣を身につけるしかない。
上下水道、通信網、交通網、電力、ガスなどは安定的に管理・運転されることが最優先であって、どれほど収益を上げるかとか、どれほどコストを削減したかとかいうことは副次的な目標にすぎない。この自覚が日本の企業には徹底されていない。
異常が報告された以上、「最悪の事態」に備えて停車し、点検し、必要なら車両交換するのがリスクヘッジである。けれども、今回JR西はそれを先送りした。安全点検によるダイヤの乱れ、特急料金の払い戻しや乗客からのクレームなどで生じる損害は今ここで予測可能である。一方、「最悪の事態」はあくまで仮想の損害にすぎない。今回の出来事は、「最悪の事態」よりも目先の有形の損害を優先的に配慮するタイプの人間が新幹線の運行について決定できる立場にいたということを示している。停めて調べてみたら問題がなかったという場合に、「責任を取れ」と責められることを嫌った人間が要路のどこかにいたということを示している。そのことについてJR西はもっと恐怖心を抱いてよいと私は思う。
「目先の、有形の、予測可能な損害」と「最悪の事態がもたらす予測不能の損害」では前者を重く見る思考習慣が日本の企業文化を侵している。それが日本の企業を破滅させつつある。
※AERA 2018年1月1-8日合併号

