恩田:ポーランド人のブレハッチさんにとって、(ワルシャワ出身の作曲家の名を冠した)ショパンコンクールはプレッシャーだったでしょうね。
ブ:実は、プレッシャーを避けるために大変努力をしました。浜松の時もそうでしたが、とにかく期間中はコンテスタント仲間をはじめあらゆる人との接触を避け、耳に何も入らないようにしていました。ラジオやテレビはつけず、プレスの会見内容も一切知らない状況の中で音楽に集中したのです。
恩田:そうでしたか。コンクールには勝ち負けの要素があり、私はそれを『蜜蜂と遠雷』で書いたのですが、ブレハッチさんご自身は人の演奏を聴いて「勝った」とか「かなわない」と思ったことはおありですか。
ブ:コンクールでは他の人の演奏を聴かなかったので、そういうことを経験する機会自体がありませんでした。演奏に必要なインスピレーションはコンクール前に得ておく、自分の確固とした解釈を身につけておくというのが私のスタイルです。でも、コンクールの場で他の人の演奏に触発されたいと思う人もいて、私の仲間たちも積極的にホールの中に入って聴いていました。私も、自分の演奏は聴いてみたかったですね(笑)。