政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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9月15日、北朝鮮が発射したミサイルは、飛距離と高度の点でこれまでの技術的水準を上回っているようです。核搭載ICBMの実戦配備まであと1年程度とも予測される中、マティス米国防長官は18日に「多くの軍事的選択肢がある」と述べました。
その後、トランプ大統領は国連総会の演説で、必要ならば「完全破壊」もありうるという、異例の挑発的な警告を発しました。この強気のメッセージは、断固とした米国の姿勢を顕示する上で歓迎する向きもあるでしょうが、他方で北朝鮮の反発も必至であり、挑発合戦の危機のスパイラルをのぼりつめていくことにもなりかねません。その結果、最悪の事態も考えられます。実際、戦前の日本はABCD包囲網で石油を断たれ、自滅的な先制攻撃に打って出ました。それと同様になれば、核戦争さえ危惧され、悲惨な結末になることでしょう。
また、北朝鮮の武装難民の数を想定すれば、完全破壊後の混乱はイラク戦争後の比ではないはずです。しかも核の流出、ロシアや中国など周辺に飛散した北朝鮮の兵力の中から将来のテロリストが生まれてくる覚悟も必要でしょう。その上、日本に飛来するミサイルの中には核弾頭の搭載もありうるのですから、こうむる打撃は想像を絶します。
こう考えれば、戦争という選択肢はありえないはずです。確かに「刈り上げ」の独裁者の挑発に屈するようなことになれば、平和な世界秩序が危機に瀕しかねません。また、拉致問題などの経緯を考えると国民感情からも反発は必至です。しかし、交渉することは決して屈服することではありません。脅威が能力と意志との掛け合わせから成り立っているとすれば、軍事力などの物理的な能力に対抗するだけでなく、それを使おうとする意志に働きかけることこそが交渉であり、それは外交の出番を意味しています。時には強面で、時にはソフトに、また時には押したり引いたりする、そうした手練手管を駆使して戦争という最悪の事態を避ける術が外交術であり、そこにリーダーとしての政治家の力量がかかっているのです。老獪(ろうかい)な知略を駆使して交渉にあたる、そうした外交の手腕がいまこそ必要なのです。
※AERA 2017年10月2日号