『舞姫』岩波文庫
『舞姫』岩波文庫

 鴎外は、その屈折に言葉を与えた。文体はまだ古く美文調であったが、たしかに、そこに書かれている内容は、当時の青年なら誰もが共感できる苦悩だった。

 小説の前半、主人公がエリスと出会う場面は、こんな描写だ。

 今この処を過ぎんとするとき、鎖(とざ)したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつつ泣くひとりの少女(おとめ)あるを見たり。年は十六、七なるべし。被(かぶ)りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁(うれい)を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おほ)はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。

 物語は鴎外が医学留学生(小説では法科)としてドイツに滞在した際の実話を元に描かれている。おそらく当時、エリート中のエリートである若い軍医が、国費での留学先で踊り子にうつつを抜かすというのは、大きなスキャンダルだっただろう。しかも小説の発表は最初の結婚の直後(のちに離婚)。

 そもそもが主人公の太田というのが、今読めば(いや、今でなくても)、本当にひどい男なのだ。自分の悪行を美文によって「近代的自我による苦悩」のように書き記すのは、たとえば現代の女性から観れば許せないことだろう。しかし日本の近代文学は、残念ながらエリート男子の苦悩から出発した。この男性特有といってもいい露悪趣味は、やがて私小説という日本独特の文学ジャンルを形成する。

 さて、小説中のエリスは最後に精神を病んでしまうが、実際の彼女は鴎外の帰国後、単身、横浜まで追いかけてきた。鴎外はこの通称「エリス来日事件」をモチーフにして二十年後、『普請中』という短編を書いている。文中、自分を追いかけてきた踊り子に、主人公は冷たく言い放つ。

「(略)ロシアの次はアメリカがよかろう。日本はまだそんなに進んでいないからなあ。日本はまだ普請中だ」

 彼はまさに明治という近代国家の普請中を生きた知識人だった。時代の苦悩と矛盾を一身に引き受けた「かのように」生きることを選んだ人生であった。

『かのように』は、『普請中』のさらに二年後、明治天皇崩御の年に書かれている。この小説では、主人公は「神話と歴史」の矛盾に悩む。歴史学を科学的に突き詰めていくとすれば、天皇制は虚構にまみれた「神話」に過ぎないことは明らかだ。だが明治という国家は、近代科学を推し進めつつも、天皇制という「神話」を事実であるかのように奉(たてまつ)らなければ成立しない。軍人であり、医者でもあった鴎外にとって、この矛盾は終生ついて回った。

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