「大人が元気をなくす中、女子高生が文化や市場をリードしていく動きのきっかけになったのがアムラーブームです。この動きが、その後のプリクラやメール絵文字の普及につながっていきました」
そして、トレードマークだった「赤くない口紅」に代表されるように、安室が男性ウケではなく自己表現を追求したことは、女性たちの価値観を解放した。
「バブル期は高学歴・高収入・高身長の“三高”の男性を結婚相手に選ぶのがトレンドでしたが、安室さんは人気絶頂の20歳で自身より知名度が低い相手と、できちゃった結婚をしました。『自分が幸せならいい』と女性の自由な生き方を体現したことは、その後の女性たちのライフスタイルに大きな影響を与えたと思います」(牛窪さん)
出産で休業し、その後離婚。それでもトップアーティストとして君臨し続けたことは、「シングルマザーも仕事を通じて輝ける」というメッセージとなって、女性の多様な生き方を広めることに貢献したと牛窪さん。
●自分を卑下せずすんだ
そして、菅義偉官房長官が「沖縄出身で日本を代表する」と引退報道に言及したように、その活躍は女性のみならず沖縄をも勇気づけた。
「自分を卑下せずにいられたのは安室ちゃんのおかげです」
と話すのは、沖縄出身で東京の大学に進学した女性(32)だ。両親や祖父母から、仕事で「本土」に行ったときは沖縄出身というだけで差別や嫌がらせを受けた、と聞かされて育ったが、大学に進学すると、
「本土での安室ちゃん人気に驚きました。出身地が同じということでうらやましがられたりして。NHKの朝ドラ『ちゅらさん』でのんびりぐだぐだした沖縄像が広く受け入れられた一方で、安室ちゃんは音楽界のカリスマで居続けてくれた。沖縄にはこんな面もあると社会に示してくれたことは大きかったですね」(女性)
(編集部・竹下郁子)
※AERA 2017年10月2日号