「仕事などの関係で、基隆出身の若者の多くは台北に住んでいる。若い人で基隆に帰ってくる人は少ない。町はますます高齢化していく。これでは悪循環だ。私はこの建物(許梓桑古?)を見つけた時、基隆には実際は文化や歴史があると分かった。基隆の良さが分かるんです」
基隆を再発見していく営みが、町おこしにつながっていく。一方で、寂莫とした思いもよぎる。
台北近郊にある日本人の人気観光スポットを挙げてみると、にぎやかさと坂の町の風情が同居する九フェン(にんべんに分)や、山間を走る鉄路やランタンを揚げるアクティビティーが人気の平溪(ピンシ)があるが、どちらも、基隆の目の前をスルーするようにして到達する場所にある。
「日本人は九フェンが大好き。みんな九フェンには行くが、基隆には来ない」
素通りされてしまう「置いてきぼり感」は、基隆に焦燥感を掻き立てるのか。
●ひまわり運動の影響も
張氏は、学生らが立法院(国会に相当)を占拠した2014年3月の「ひまわり運動」など台湾の社会運動にかかわった。その後は蔡英文(ツァイインウェン)総統のスピーチライターを経て、現在は来年予定される基隆市議会議員選挙への立候補の準備中だ。化被洞為主洞のメンバーは、ひまわり運動とは「関係がない」(侯さん)。ただ、田畠真弓・国立台北大学社会学系副教授(社会学)は、ひまわり運動が「学生たちが(社会問題に)関心を持つことになった大きなきっかけにはなっていると思う」とみており、ひまわり運動と無関係の若者たちが、基隆という地域にコミットしていこうとする姿が「ポストひまわり」とでも呼びたくなるような現象と絡めて語られるときが来ないとも限らない。
化被洞為主洞のメンバーはいずれも基隆出身ではない。前出の林さんは、だからこそとでもいうように胸を張る。
「私たち5人は基隆のことを知らなかった。だから、広い視野と探究心を持ってこの興味深い町と向かい合うことができる」
李徳郁(リダユ)さん(26)は「基隆の活力は弱っているが、今は基青陣が盛り上げようとしていて、少しずつ変わってきた」と話す。
そして、「防空壕を保存すれば、ひょっとすると、ほかの利用方法があるかもしれない。たとえば、博物館や観光名所。地方の発展にとってとてもいいこと」と侯さん。
そもそもは暗くてなんぼのスペース。若者たちはこの先、どうやって防空壕を“日の当たる”場所にしていくのか。梓桑巷防空洞はまぶしそうに目を細め、外の様子をじっとうかがっているのかもしれない。
(ジャーナリスト・松田良孝)
※AERA 2017年9月11日号
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