ダンス規制撤廃の法改正運動とは別に、EMMAもまた「クラブとクラブカルチャーを守る会」という団体に参加して、ロビイングや研究会を重ねてきた。そういう背景があってもなお、EMMAは現状の「業界」への苛立ちを隠せなかった。だから「つぶやいてるだけじゃだめで、もっと意識を持ってもらいたいという思いから、直接対面で煽るしかなかった」と言う。

 いまクラブ音楽と言われているもの、たとえばハウスミュージックやテクノ、そしてそのルーツであるディスコ音楽もまた、60~70年代のアメリカのカウンターカルチャーが生み出したものだ。69年のニューヨークでのストーンウォール暴動は、その後のセクシュアルマイノリティーの権利運動を大きく前進させる事件だった。70年代に爆発したディスコカルチャーの担い手の多くは黒人やヒスパニックのゲイ/レズビアン/クイアたちで、当然にストーンウォールから大きな影響を受けていた。したがってその始まりから今に至るまで、対抗文化としての反ホモフォビア、反レイシズムの文脈が綿々と受け継がれている。享楽的と思われがちなダンスカルチャーもまた、ポリティカルな出自を内包しているのだ。

●黒人音楽からリベラルへ 社会運動が持つ音楽的文脈

 中田亮は、少年時代にブラックミュージックに傾倒した結果、吉田ルイ子や本多勝一が描いた60年代末期のニューヨーク・ハーレムの様子に衝撃を受け、それが自分のリベラルな政治観を培ったと言う。そして大学時代に大阪・釜ケ崎の越冬闘争を手伝いに行くと、「吉田ルイ子の本やマルコムXの映画に描かれている世界が、そのままそこにあった」。時代は90年代初頭、ちょうどブラックミュージックの世界では、ラップグループのパブリック・エネミーがブラックパワーをリバイバルさせるかのような活動をしており、スパイク・リーが伝記映画「マルコムX」を発表して話題になっていた頃だ。

 オーサカ=モノレールとしてレコードデビューしたのは2000年、ちょうどその翌年に9.11同時多発テロが起きた。中田はコンサートのMCで反戦を語ったが、客の反応は薄かった。

「そういうことを言うのがブラックミュージックを標榜してるアーティストとしてはまっとうなのだと思ってたこともある。でもだんだん言わなくなってしまった。それから15年、悶々としていたんです」

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