東京・恵比寿横丁。おしゃれな店も多く、若者が集うこの町で愛されている流しがいる。2008年にプロのミュージシャンから流しに転向した、パリなかやまさん(41)だ。スーツ姿にサスペンダー、笑うと見える八重歯が人懐っこさを感じさせる。恵比寿横丁界隈を歩けば、老若男女から声を掛けられる街の人気者だ。

 アーティスト時代は、印税も含めると、最高月収は100万円を超えることもあったというが、流しとなった現在は月収20万~50万円とムラがある。安定した仕事を捨て、なぜ流しに転向したのか。

「アーティストは過去の栄光に縛られて仕事をしないといけない。でも、流しはトーク力やレパートリーを積み重ねることで、仕事人として『今が一番いい時期』でいられる」(なかやまさん)

 きっかけは、先輩ミュージシャンに誘われて、東京・亀戸横丁で演奏したこと。最初は景気が下向いていたこともありなかなか稼げなかったが、常に目の前の客が相手で、ごまかしのきかない流しの魅力に徐々にハマっていった。

 出会いの中で、さまざまなドラマも生まれる。とある酒場で、20代半ばの女性がオーダーした曲は山下達郎の「RIDE ON TIME」。「年齢の割には渋い曲が好きなんだね」と軽快に歌いだすと、歌の途中で女性の目から大粒の涙がポロポロとこぼれだした。前年に亡くなった父の思い出の曲だったというのだ。一曲に対する人の思いの深さを、改めて知った。

 中には音楽業界で売れるまでの下積みとして流しをする人もいるが、なかやまさんは、メジャー市場での活動と流しは、まったく別モノだと断言する。

「流しはサービス業だと思う。アーティストとは、求められるものが違うんですね。そこに悩みやプライドの葛藤はないです」

●一緒に歌える曲が人気

 今は午後8時ごろから居酒屋を回る。客をじっと観察し、声をかけるよりもこちらに興味を示してくれるタイミングを待つ。

 よくオーダーされるのは、中島みゆきの「糸」。カラオケの十八番になりそうな、一緒に歌える曲のオーダーが多い。かつては年配のお客さんが多かったが、横丁の客層は変わり、今やほとんどが年下になった。

 流しは恵比寿以外でも増えている。なかやまさんは、流しを集めた「平成流し組合」を結成。現在13人が所属し、居酒屋や屋形船などのイベントに流しを派遣しているが、「組合員」の半数は、流しだけで生活ができているという。(編集部・市岡ひかり、小野ヒデコ)