タイトル「8歳はサバ読み?プロの占い師が的中させた佐藤二朗52歳の精神年齢に涙が止まらない」。
そのタイトルに僕の涙が止まりません。お前はせっかくの誕生日に精神年齢の低さ以外書くことがないのかと自らに強く言いたいわけですが、同時に毎回タイトルを考えてくれてる担当K氏がもはや楽しんでるのではないかという疑念も生まれてきました。
こうなったらと半ば意地になり、というか、誕生日にもう少しまともなことを書いたような記憶もあり、さらに遡ることに。2020年5月10日の記事。
タイトル「51歳になった僕、精神年齢8歳のまま、50歳の誓いを自己添削する」。
ちょっと酔ってきました。吐きそうです。おめでたい誕生日に3年連続で精神年齢の低さを書いてる自分にも吐きそうですし、「50歳の誓い」という文字に4年連続を大いに予感させられ吐きそうです。
2019年5月12日。タイトル「とんでもないことです!精神年齢8歳の50歳児が誕生してしまいました」。
吐きました。吐いたうえにコレひょっとしてタイトルはこうなってるけどそれは担当K氏のイタズラで、内容は高尚なことが書かれてるんではないかと読み返してみましたが、まったくそんなことはなかったです。
大体お前このコラムで高尚な内容を書いたことなんてないじゃないかと皆さま思われてるでしょうし僕も思ってますが、いよいよ最後の望み、僕が当コラムを始めた5年前の誕生日に遡ってみました。
ありませんでした。遡ったんですが、記念すべき(?)第1回コラムのタイトルは「見切り発車でコラムを書き始めた理由」というもので配信日は2018年5月13日。誕生日が過ぎていたので特に誕生日に触れておらず、つまりこの年は誕生日に関する記事はなく、つまり当コラムで誕生日に触れた過去4回の記事は、すべて低い精神年齢をなんとか今年こそは上げていこうと決意する内容で、つまり1ミリも成長がないことが判明したよ馬鹿野郎。
久々の馬鹿野郎が登場したところで、なんてことでしょう。今年も。2023年の誕生日も、精神年齢の低さについて書いてしまいました。3日に1回は小便をズボンに引っかけ、衣装スタッフさんに怒られるのが怖くて「ち、ちがうんだ!こ、これ、水なんだ!水なんだよ衣装さん!決してオシッコじゃないんだ!」と必死に言い訳し、若い衣装さんから「はい、はい」と苦笑まじりに言われるこの僕は、今年の誕生日も精神年齢の低さを書いてしまったんだよ馬鹿野郎。
まさかの馬鹿野郎再登場に見舞われたわけですが、まぁアレですな。自分の誕生日に改めて何かを誓ったり、抱負を語ることが、どうも苦手といいますかね。もちろん、誰にとっても誕生日はとびきりにめでたく、産み落としてくれた母親や、家族、そして過去や現在に関わる大切な人たちに極上の感謝をしなければいけない日だとは思いますが。
最後、54歳の誕生日にふさわしいまともなことを書こうと躍起になってますが、時すでに遅し。これアレだなあ、内容はこのままでいいから担当K氏に頼み込んで、「54歳を機に思案する世界情勢における演繹的なアプリオリに漂着する推論、もしくは弁証法の中でのアウフヘーベンという概念」というタイトルにしてもらおうかな。
無理か。何ひとつ意味分からず書いてるし。