タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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「同級生にセクハラされたら手を握り、微笑んで『好きな人にしか見せたり触らせたりしないの』と答えるのが聡明な女の子です」「女性が『男はみんな5歳児』だと思って許してあげればすべてがうまくいきます」。これらはいずれも、メディアで女性が発信した意見です。前者には「その通り! 実に賢い対処法だ」という女性の声があり、後者にも支持する女性たちがいます。
さて、あなたはどう思いますか。女性は性的からかいに目くじらをたてるべきではなく、男性を分別のつかないお子ちゃまな存在として受け入れるべきなのでしょうか(実際の5歳男児はそんな単純な存在ではないですが)。
賛同する女性がいるなら別にいいのでは、と思う男性もいるでしょう。しょせん世の中は男性が回しているのだし、女性は魅力を武器に、したたかに世渡りするのが得策と信じている女性もいるでしょう。
先日、トランプ米大統領がマクロン仏大統領の妻のブリジットさんに面と向かって「体形がきれいだ、美しい」と言い、物議を醸しました。これも「褒めたのに何が悪いの?」「私なら素直に嬉しい」という意見があると思います。
こうした“善意でやったのだから構わない”“自分は侮辱されたと思わない”“気にしないと言っている女性がいるなら問題ない”という意見は、性差別を語るときに必ず出てくる反応です。
私は息子たちに、もしも女友達が「女は男を永遠の5歳児だと思えばいい」と言ったらどう思うかを尋ねてみました。「僕は5歳じゃないし、失礼な感じがする」と11歳次男。「男性に対してもだけど、女性のこともバカにしていると思う」と14歳長男。
「もしそんな友達がいたら、君の意見を伝えて、なぜ彼女がそう考えているのかを尋ねてみるといいよ」と私は言いました。私たちは互いをどう扱うべきなのか、対話の中で学びます。家庭や学校で、それは始まっているのです。
※AERA 2017年7月31日号