「流言飛語までも受け入れて、情報に支配されてしまうと、大変なことになる。無防備でいることの危険性を学校教育の中で教える時代が来ている」
須藤氏はそう問題提起する。
では、ネットのリテラシー教育とはどのようなものなのか。ニューヨーク州立大学ニューパルツ校がオンラインで提供する講義をのぞいてみた。
「デジタル情報を利用する能力は現代社会を生き抜くうえで必須だが、それだけに情報を正しく操り、理解することが重要だ。事実なのか、意見なのか、宣伝なのかを見極められるか」
教授のこうした問いを受け、受講する十数人の学生が意見を書き込み議論し、ネットの危険性について知識を深めていく。その中の一人はこう書いた。「ネットの普及によって情報があふれたことで、一つ一つを精査せずに、うのみにしてしまう人が増えた。ただ、多くの米国人にはまだ正しい情報を見極める能力があると信じたい」
いくら技術革新が進んでも、偽ニュースの拡散やサイバー攻撃がなくなることはないとみられる。社会の行方を左右しかねない情報が簡単に操作され、ウソが真実として拡散される世の中だからこそ、ことの真贋(しんがん)を見極める力を鍛えたい。(編集部・山本大輔)
※AERA 2017年7月3日号