互いに偽ニュースだと指をさし合い、ますます真実が見えにくくなるのは、国家間の情報戦に限ったことではない。自身に対する批判や疑惑報道について、単に「偽ニュース」や「うそつき」などと一蹴し、疑惑の払拭(ふっしょく)に向けた説明責任を放棄するような姿勢は、米国や日本の政治家にも見られる。
●誰もが自由に情報発信 既成メディアへの不信増幅
国家権力のウソを暴く社会的役割を持つのはメディアだが、その信頼が揺らいでいることも問題の深刻化に拍車をかけている。メディアが発信する情報そのものの信頼性を疑う傾向が強まっていると、都内でウェブ制作会社を経営する新村繁行氏(36)は指摘する。
メディアは公権力寄りで、意図的に書かないことがある。取材手法が強引な記者がいる──。ネットでは今、既成メディアへの不信を示す書き込みが飛び交っている。インターネットが普及し、誰もが自由に情報発信できる時代になって、「自分と主張が違うことを理由に既成メディアを批判する傾向もあるが、一方で独自に取材してメディアの報道のあり方を問題提起する人も出ている」と新村氏は説明する。そうした情報がネットを通じて拡散される中、メディアに対する厳しい見方も広く共有されていく。
新村氏自身も「メディアから出ている情報だとしても、それが本当かどうかは、自分で調べるしかないと思っている」。様々な報道を比べてみたり、情報ソースが明記されているか気にしたり、署名記事であるかどうかを確認したりする。
ただ、新村氏は、こうも語る。
「大きな組織の中で多くの人が報道に関わっている既成メディアだからこそ、報じられる情報の信頼性がより高くなるのは当然です。既成メディア、ネットメディアにかかわらず、情報の真偽性に対する責任を認識していないところから偽ニュースは流れる」
記事を裏打ちするファクトをどう示しているか。メディアが積極的に開示することで情報の信頼性は高まり、そうしたことができない偽ニュースのあぶり出しにもつながる。
「どのように情報を集め、その真偽をどうチェックし、判断したのか。逆に、なぜ書かないのかも含め、記事を発信する際のプロセスや考え方を社会に丁寧に説明したり、できる限り公開したりすることが重要だ。そうすることで、不信も払拭できるのではないか」
一般の人も偽ニュースを見つけやすくなり、偽ニュースを流した媒体が淘汰されていく。そんな好循環が生まれることを新村氏は期待する。(編集部・山本大輔)
※AERA 2017年7月3日号