
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとってLGBT。性的マイノリティーを表現するために生まれ、定着しつつある言葉だ。しかし、本当にまっすぐ理解されているのだろうか。LGBTとひとくくりにすることで周知は進む一方、さまざまな思いや抱える悩み、課題など、一人ひとりの「個」が塗りつぶされてはいないか。雑誌AERA6月12日号のテーマは「LGBTフレンドリーという幻想」だ。
LGBTをメディアがどう扱ってきたかを取材した特集「おネエしかいらない」では、ミッツ・マングローブさんのインタビューを紹介している。
* * *
「おネエ」キャラの人たちをたくさんテレビで見るようになりましたが、いまだに「非人間枠」的な意味合いが強いのかもしれません。
例えば「何歳で男に目覚めたんですか?」なんて質問をされるんですが、ノンケの男性に「何歳で女に目覚めましたか」って聞かないですよね。性転換の有無など、本来聞きづらいはずのセクシュアリティーにかかわる問題について「おネエ」相手ならズカズカ踏み込んでもいいと思われていたり「筋肉ムキムキの男ならば誰でも飛びつくんだろ」という扱いをされるのは少し違うのでは、と感じます。イケメンにわーっと群がるオネエたちというような演出を見ると、まだ自分たちもそのレベルなのか、と思ってしまいますね。テレビはまだ、男社会なんですよ。
特に最近はテレビに限らず社会のあらゆるところで、いろいろな集団にわかりやすく「不幸」というレッテルを貼り、その範囲内で消費しようという傾向が強くなっている。そういう中で私たちは面白おかしくも扱えるし、かわいそうな話にも扱える「有能な弱者」というポジションなんでしょう。
私たちはそんな「おネエ」像を求められることで商売をさせてもらっていますが、そうやってテレビに出ることが、普通に暮らしている性的マイノリティーの人たちにとっては弊害になる部分もあるという自覚は持っています。