2020年の東京五輪に向けて、新卒採用だけでなく、40代以上も含めた転職市場が活況だ。気になるのは転職後の年収のアップダウンだが、自己実現を優先しようと地方に移る人、お金に価値を置かない転職も増えている。AERA 5月22日号では「転職のリアル」を大特集。転職をまじめに考えている人、うっすら意識している人にも読んで欲しい。
転職に迷いはつきものだ。うまくいくのか、この選択肢で良かったのか。不安さえ前進する力に変える人は、何が違うのか。リクルート、電通九州を経て、参・衆議院と2度の国政選挙に挑戦した経験のある本田浩一さんに、転職についてお話を伺った。
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新卒で入ったリクルートは山っ気のある社員がたくさんいて、入社時から同期と「いつ辞める?」と話すような独特の文化がありました。僕も5年で退職し、電通九州に転職。地元で自治体と接点があるような公共性の高い仕事をしたかったんです。
福岡での勤務を経て、2001年に東京に転勤になりました。その頃リクルート出身者としては初めて、加藤公一元衆議院議員が当選したんです。知人を通じて知り合い、縁があって議員の公募広告の制作を請け負いました。この仕事で、政治に興味が湧いたんです。議員秘書を経て、06年、39歳の時に当時の民主党の候補者を目指して熊本に帰りました。妻は反対しましたが、強くは言わなかった。無駄だと思ったんだと思います。
この時から長い無職生活が始まります。当時、結婚10年目で妻が妊娠して産休中だったので、世帯収入は激減。妻の扶養に入り、他の議員の選挙事務所で手伝いをしたりしていました。
民主党に風が吹いた09年の衆院選。絶好のチャンスでしたが、この時県連の調整で候補者から漏れてしまったんです。相当落ち込みましたね。舞台にも立てなかったので。その後、10年の参院選に民主から、12年の衆院選に維新から出馬。選挙のことは知っているつもりだったのに、候補者はこんなにも見える景色が違うのか、と。選挙期間中の記憶はほとんどないです。