
アルバム『ZUMA』のリリースからほぼ半年後ということになる1976年3月、ニール・ヤングは新生クレイジー・ホースとともに初来日をはたした(名古屋、大阪、福岡、東京で計7公演)。僕は3月10日の武道館公演を観ているのだが、ちなみにこの時期は、75年12月にクロスビー&ナッシュ、翌年1月にドゥービー・ブラザーズ、2月にイーグルスと、西海岸系大物の初来日がつづいた。ニールは、そのなんとも贅沢な流れの、いわば真打ちとして日本にやって来たわけである。
前半は、「テル・ミー・ホワイ」や「ハート・オブ・ゴールド」から成るニールのソロ・アコースティック・セット、後半はホースを従えてのエレクトリック・セットという構成だった。「ドント・クライ・ノー・ティアーズ」と「コルテス・ザ・キラー」も演奏され、『ZUMA』での手応えを日本のファンにも強くアピールする内容だったが、とりわけ強い印象を与えられたのは、その時点ではまだ未発表の段階にあった「ライク・ア・ハリケーン」だ。激しく弾きまくるニールのギターはもちろんのこととして、ポンチョが弾くストリングス系シンセサイザーの音も、古いオルガンのボディに組み込まれたその外観とともに、深く記憶に刻まれた。
翌77年初夏発表の『アメリカン・スターズ・アンド・バーズ』は、その「ライク・ア・ハリケーン」が収められたアルバムと紹介されることが多い。しかし、リンダ・ロンシュタットとニコレット・ラースン(当時の恋人らしい)が加わったサイド1の5曲はほぼストレートなカントリーであり、サイド2は未発表に終わった『ホームグロウン』の流れを汲む曲と、『ZUMA』と同時期に録音されたものと思われる「ハリケーン」などで構成されていて、その色合いをひと言で説明するのは難しい。録音時期も74年から77年にわたっている。とはいうものの、『トゥナイツ・ザ・ナイト』のころのような暗さや迷いは感じられず、自由なスタンスで彼にしかつくるこことのできない音楽を楽しんでいるという印象だ。
おそらくその感じを表現しようとしたものと思われるジャケットは、友人でも俳優のディーン・ストックウェルがデザインを担当している。[次回8/5(月)更新予定]