1980年代の“台湾ニューシネマ”を牽引したエドワード・ヤン監督。没後10年のいま、作品が相次いで公開され話題だ。盟友ホウ・シャオシェン監督に思い出を聞いた。
エドワード・ヤン監督とホウ・シャオシェン監督は、ともに1947年生まれ。ヤン監督はアメリカの大学で学んだ後、81年に台湾に帰国し、映画の道へ。ホウ監督は80年に監督デビューしている。二人は80年代に政府が「新たな才能に映画作りをさせよう」と掲げた台湾ニューシネマの代表監督となった。
●大島渚が好きだった
「ヤンとの付き合いは82年ごろからです。互いの作品を認め合い、とても親しくしていました。いつもヤンの家に集まって彼にいろんな映画を見せてもらい、映画談議をしていたんです。彼が特に好きだったのは大島渚監督。『少年』を観ながら、細かい分析をしてくれました」
84年にヤン監督から「台北ストーリー」の構想を聞いたホウ監督は、自らプロデューサーになり自宅を抵当に入れて映画の制作費を捻出し、主役を演じた。
「監督のヤンが撮影で僕の演技にダメ出しをしたかって? そんなこと彼はしないですよ(笑)。演技で大変なことはなかったんです。ヤンは僕の『冬冬(トントン)の夏休み』にも出演しているし、あのころはそうやってお互いの作品に出ることが普通でした。それにヤンは俳優の持つ“質感”を見極める目を持っていた。素のままの僕が役にぴったりだと思ってくれたんでしょう。女優のツァイ・チンをこの映画に推薦したのも僕です。ヤンはこの後、彼女と95年まで結婚していましたからね」
同い年の二人には共通点は多いが、相違も少なくなかった。
「僕らはともに両親が中国大陸から台湾に移住した“客家”です。でも家庭環境には大きな違いがありました。私は南部に暮らし、武侠小説やヤクザ小説を愛読しながら育ちました。兵役につき、大学で映画を学んだあと電算機の会社で働き、映画の現場で働いた。ヤンは都会の台北で育った海外留学組で、おそらく僕よりもっとマジメな小説を読んでいたはずです(笑)」