――最初のカメラは?
19歳のときに1カ月分の給料をはたいて購入したパールRSです。高校卒業後、新橋の自動車部品会社で働いていて、配達中に御徒町(おかちまち)でよさそうなカメラ店を見つけましてね(笑)。休日に熊谷の自宅から買いに行きました。小西六(現コニカミノルタ)のレンズの評判は聞いていたけど、やはり解像力はよかったですね。会社を2年で辞めて大学に入り、趣味の山登りのため距離計つきのパールIVに買い替えました。当時、カメラを持っている学生はあまりいなかったですね。パールは頑丈で岩にぶつけても大丈夫。土日はほとんど山に行っていて、芸術写真というよりは記録で撮っていました。作家志望でしたから、「この風景は文章になりそうだ」と思うとシャッターを押すんです。そして風景のディテールをメモしていた。だけど時間がかかる。そこでテープレーコーダーに吹き込んだ。「霧がまろみながら立ち上がる」とか「出血しているような夕焼け」とかね。でも、そのうち写真一辺倒になりました。情報量が全然違いますからね。
――パールIVから生まれた推理小説がありますね
「日本アルプス殺人事件」(72年)です。犯人がロールフィルムを逆向きに装填(そうてん)して撮影することで時間を逆転させるアリバイを築き上げるというトリックを思いつきました。ある日フィルムを入れようとして、もしかしたら逆に装填しても撮影できるかなと思い試したんです。写るんですね。それをネタに小説を書き上げました。パールIVは歴代カメラの中で、もっとも長く愛用した思い入れのある一台です。デジカメが出てくるまで使い続けていました。
最近はもっぱらルミックスFX8。それにテープレコーダーと携帯電話の三つは外に出るとき必ず持っていきます。「これは俳句になる」と予感が走るとカメラを構えるんです。5、6年前、俳句をホームページに掲載しましたが、コンテンツの中でいちばん地味でした。そこで雰囲気が出るようにと写真を組み合わせたところ、急にアクセス数が増えましてね(笑)。それからです。俳句を意識した写真を熱心に撮りだしたのは。
――「写真俳句のすすめ」を出版され、その中で「俳句の写真は一期一会ではない」と書かれてますね
最近、家の近くで3機編隊の米軍戦闘機を撮りました。通常は2機編隊なので珍しいと思い、慌ててルミックスを取り出したんですけど、デジカメは起動が遅い。空の真ん中で撮るつもりが結局、遠方に小さくなった。電線の向こうに消えていく機影がオタマジャクシ(音符)に見え、「五線紙に戦闘モードの蝌蚪(かと)泳ぎ」と詠みました。オタマジャクシは俳句用語では蝌蚪といいます。頭上でのシャッターチャンスを逃したからこその一句となりました。その場でひらめかなくても、後で写真を見ていると言葉が出てくるんです。意外な別の俳句が穫(と)れることがある。俳句の写真は一瞬ではなく、持続性があります。
――写真俳句の魅力とは?
小説は小さなものを大きく膨らませる世界。俳句は17文字に凝縮させる抽象化の極地。正反対です。小説家が俳句を作っていると、ディテールを盛り込めなくて欲求不満になってしまう。その点、写真は情報量が多いので、写真俳句ではディテールを補えます。欲求不満もうまく解消されます(笑)。ぼくは近所での撮影がほとんどですが、句材は日常の身の回りにたくさんあります。写真と俳句のどちらが先でも構いません。俳写同格、合わせて一本という意識で作っています。写真俳句は似合いの夫婦に似てますね。(笑)
※このインタビューは「アサヒカメラ 2006年6月号」に掲載されたものです