わたしたちは認知症を排除するのではなく、むしろ認知症と共存する社会を目指すべきではないのか(※写真はイメージ)
わたしたちは認知症を排除するのではなく、むしろ認知症と共存する社会を目指すべきではないのか(※写真はイメージ)
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 3月12日、改正道路交通法が施行された。認知症と診断された高齢者について、免許停止が可能になったのである。当然の法改正と思っていたが、事態はそう簡単でもないらしい。

 新法施行の2日後、日本認知症ワーキンググループ(JDWG)が声明を発表した。彼らは改正は認知症への偏見を強化するものだと訴える。認知症は一様ではない。運転できるひともできないひともいる。事故原因を認知症だけに求めるのも短絡的である。そもそも運転は認知症者の生活にとって不可欠であることが多い。わたしたちは認知症を排除するのではなく、むしろ認知症と共存する社会を目指すべきではないのか。

 ぼくはこの報道を見て考えこんでしまった。以上の主張は論理的には正しい。JDWGを支持するある弁護士は、この問題をてんかん者の問題と比較している。現在てんかん者の運転は制限付きで認められている。なぜ認知症者の運転だけ禁じられねばならないのか。弁護士は運転禁止は人権問題だと述べている。実際、運転が奪われたら買い物すらできず、生活の質が著しく下がる高齢者が多数いることは事実だ。慎重な議論が求められる。

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東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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