
タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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19年前、あるジャーナリストに、会うなり「君は右かい? 左かい?」と聞かれました。20代の私は面食らいました。右か左かを即答できない自分は未熟なのだろうか?という不安と、そんなに簡単に「こっちです!」なんて答えられるほど、人の考えは単純じゃないだろう、という違和感とを覚えました。
2005年、番組でご一緒していた後藤田正晴さんがこんなことをおっしゃいました。「私はずっと同じことを言っているが、昔はタカ派と呼ばれ、今はリベラルと呼ばれている。時代が変われば、全く反対の言われようになるのだ」と。当時は小泉旋風の最中。「抵抗勢力」が流行り言葉でした。時代がかつてより右傾化しつつあることを指摘した後藤田さんの言葉は、同時に、信念を語ることと「自分がどっち側か」を語ることは全く別であるという警句でもありました。後藤田さんは同年9月に急逝される前月まで、日本は二度と戦争で人を殺したり殺されたりする国になってはならない、と繰り返し述べられました。
最近、「俺たち左は」「あの人は右だから」「これだからリベラルは」などと言う人に出会うようになりました。私はその度に「私は右でも左でもなく、私だ」と思っています。
どちらの陣営に属するかで自分を規定すると、個人的な体験に根ざした「こんな世の中であってほしい」という実感は矛盾だらけに思え、すっきりと右らしい・左らしい意見こそが知的だと勘違いしがちです。でもその「らしさ」は誰が決めたのでしょう?
分類や分析は専門家がやればいい。いま必要なのは、私は私の体験や実感に照らしてこう思う、と身の丈で語ることです。それは世界中でただ一人、あなたにしか語れない事実だからです。簡単に色分けできない現実と向き合うのはしんどいけれど、自分のささやかな実感を、声の大きな誰かの陣地争いに供出してはならないのです。
※AERA 2017年2月27日号