この固い決意の背景には「桐島」で抱えた葛藤がある。自身の企画だが製作を動かしていたのは年上の世代。ターゲットも若者を想定していたが実際は年配の観客が多かったからだ。

「私の力不足が悔しかったです」

●同世代監督に支えられ

 10代で「リリイ・シュシュのすべて」を見て、映画製作の道を志した。思春期特有のモヤモヤしたものを可視化してくれる映画という存在に強烈に引かれ、作品からあふれ出す「新しいことをやるぞ」という作り手の気持ちに刺激を受けた。

 念願かなって若者が若者を描く今作は、その分、気負いも大きく、企画、脚本、スタッフ編成、キャスティングすべてにこだわり抜き、すべて自分でやらなければと意気込んでいた。それをほぐしてくれたのも、同世代の松居の言葉だ。

「『僕たちから指示するんじゃなく役者やスタッフから出てくるものを集めたい』と言われたんです。当時はムッとしたしもめましたが、その方針で撮影にのぞんだことで、想像以上のものができました。役者、スタッフ全員が自分で考え抜いたからです。人を信頼するしなやかさを教えてもらった気がします」

 枝見さんは日本テレビホールディングスの子会社に所属し、現在もテレビドラマと映画が数本ずつ進行中だ。映画と違い不特定多数に向けて発信するドラマを製作することで、映画への意識も変わった。

「これまでは分かる人にだけ分かってもらえばいいやという気持ちが無意識にあったと思うのですが、今はもっと多くの人に分かってもらうようにしたいと思うようになりました」

 一方で、一言で感想を言い表せるような分かりやすい作品ばかりがもてはやされる現状に疑問も抱く。

「共通言語になるような作品が生まれるのは素晴らしいことですが、それだけでは文化は停滞してしまう。今はそんな状態のような気がします。派手にイタイことをして、文化を揺らし続けていきたいんです」

(編集部・竹下郁子)

AERA 2017年1月2-9日合併号